<南海トラフ臨時情報を問う③>
 政府が8月15日午後5時に終了した、南海トラフ地震の臨時情報「巨大地震注意」の呼びかけ。自粛ムードを引き起こしたこの制度は、どのような経緯でできあがったのか。南海トラフ地震を巡り科学と政治の関係を問い続け、著書「南海トラフ地震の真実」で菊池寛賞を受賞した東京新聞社会部の小沢慧一記者が、問題点をたどった。(全3回の最終回です)

宮崎県南部で震度6弱を観測した地震と南海トラフ地震との関連調査のため、臨時開催された評価検討会=2024年8月8日午後5時31分、気象庁で

◆「臨時情報」誕生の経緯

 臨時情報は地震予知を前提にした大規模地震対策特別措置法(大震法)の「警戒宣言」に代わり、誕生した制度だ。経緯をたどると、予知が不可能だとわかった後も既得権益を維持したい官僚、自治体、政治家、研究者からなる「地震ムラ」の思惑が透けて見える。  大震法は東海地震説を受け、1978年に制定された法律だ。東海地震の前兆現象を捉えると専門家たちで検討会を開き、東海地震につながりうると判断した場合は総理大臣が「警戒宣言」を出し、新幹線を止めたり、学校や百貨店などを閉じて地震に備える。

 東海地震説 1976年に神戸大の石橋克彦名誉教授(当時は東京大理学部助手)が「駿河湾で大地震が明日起こったとしても不思議ではない」として提唱した地震説。これを受け、1978年には地震予知を前提とした大規模地震対策特別措置法(大震法)が施行。東海地震の前兆が観測されれば総理大臣が強制力のある「警戒宣言」を発令するという仕組みが作られた。

 法律制定により地震予知は国家プロジェクトとなり、関係省庁や地震学者が大いに潤った。東海地震の震源を中心に観測機器が多数設置され、検討委員に選ばれることは地震学者としての成功を意味した。

◆大震法が存続する矛盾の中で

 ところが、95年の阪神大震災を契機に地震予知への批判が高まり、代わりに統計的に予測する「地震予測」にかじを切ったかのように見えた。ただ、内実を見ると看板をかけ替えたに過ぎなかった。  地震予知ができないにもかかわらず、大震法は40年以上続いている。2016年の見直し検討時、新聞の社説などでは、その矛盾から大震法の廃止を求める声が上がった。  だが大震法は廃止されず、警戒宣言に代わり、臨時情報を作り出した。国は基本的に情報提供を行うのみになり、それを受けて地方自治体、企業、個人がそれぞれ防災対策を行うことになった。対策は国から丸投げされた。

◆訴訟回避の名目で…

 なぜこのような不可思議な経緯を歩んだのか。16年に政府から座長就任を要請され、辞退した関西大の河田恵昭・関西大特別任命教授(防災・減災学)が23年、本紙に事情を話している。  河田氏は「政府の見直しの目的は訴訟回避にあっただろう」と振り返る。大震法の枠組みでは、予知ができることになっている。河田氏は「予知ができるとしているのに、南海トラフ地震が予知情報なく突発的に発生し、避難所や応急救助で支障が出たら、予知を怠ったせいで支障が出たとして政府の不作為が問われかねない可能性がある」と指摘したという。  「(16年の)熊本地震の規模でも対応はパンクした。想定する南海トラフ地震が起きたらもっとすさまじい支障が出るとは、火を見るより明らかだった」

◆「既得権益を尊重し合う地震ムラの構造は維持された」

 そこで、河田氏は内閣府の防災担当参事官と話し合い、「東海地震は予知できないことにしないと駄目だぞ」と助言したという。結局、政府が提案してきたものは大震法を廃止にもせず、警戒宣言の代わりに臨時情報を残すというものだった。「予知体制を維持するために科学的根拠もない臨時情報を出すべきではないと、私は座長を辞退した」と振り返る。  政府はなぜ大震法の廃止を避けなければいけなかったのか。河田氏は「大震法は議員立法だが当時の政策立案者は既におらず、今の担当局長や参事官が矢面に立たされる。彼らは2年も経てば異動なので、それまで耐えられればよかったのだろう」とみている。

宮崎県南部で震度6弱を観測した地震と南海トラフ地震との関連調査のため、臨時開催された評価検討会=2024年8月8日午後5時31分、気象庁で

 「日本の地震予知130年史」を書いた科学ジャーナリストの泊次郎氏は、大震法を残すことで、各省庁はいつまでも予算と人員を確保できるし、国の委員となっている有力な地震学者は予算の配分に影響力を持てると指摘する。  「大震法の廃止なんてはじめからできるわけがなかった。これで各防災機関や有力な研究者が既得権益を尊重し合う地震ムラの構造は維持された」 

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