79回目の「終戦の日」を迎えた。先の大戦を体験した世代は高齢になり、全国戦没者追悼式に参列した遺族の半数は戦後生まれが占める。孫やひ孫らも命の尊さに思いをはせ、幅広い世代が戦争の悲惨さを語り継ぐ誓いを新たにした。
「生きている限り、出席したい」。北海道に住む長屋昭次さん(97)は15日、日本武道館(東京・千代田)で開かれた全国戦没者追悼式に最高齢の遺族として参列した。
8歳年上の兄、保さんは1942年に召集された。長屋さんは当時「体が弱く、こんな人が軍隊に入るのはかわいそう」と思った。終戦直前に中国・天津の病院に入院し、45年末に肺結核で亡くなった。26歳だった。
出征前の兄はラジオの修理などの仕事で家計を支え「帰ってきたら中等学校に入れてあげる」と弟思いだった。長屋さんの感謝の気持ちは今も変わらない。
長屋さん自身も陸軍の「少年飛行兵」に志願。10代で命を落とした先輩もいた。「亡くなった人たちのことを考えると、追悼式に出ることが使命。歩くのが精いっぱいだが、できれば来年も来たい」。戦後80年となる次の夏を見据えた。
戦没者のひ孫世代も惨禍に思いを巡らせた。京都市の小学6年、堤帆南さん(12)は祖父の妹に声をかけられて参列した。献花台を前に「戦争で亡くなった人はどういう思いだったのか考えたい」と緊張した表情で語った。
曽祖父の堤惣市さん(当時39)は終戦の翌年、朝鮮半島の収容所で栄養失調のため戦病死した。遺骨は戻らず、写真も残っていない。
参列を決めた後、曽祖父の所属部隊や収容所の環境について図書館やインターネットで調べ、生涯を年表にまとめた。「苦しかっただろう」と想像し、記憶の伝承を途切れさせないためにも「自分が伝えていかないといけない」と感じた。
これまで友人と戦争について話す機会は少なかったが、「みんなが戦争をしたくないと思うことが大事。追悼式に参加して思ったことを友達にも話したい」と語る。
今回、最年少の参列者は東京都世田谷区の酒井清凪(せな)ちゃん(3)。母の星来さん(29)とともに初めて追悼式に臨んだ。
星来さんの曽祖父、市丸利之助さん(当時53)は第27航空戦隊の司令官として硫黄島で戦死した。米国のルーズベルト大統領へ、開戦に至った日本の立場についての所見をまとめた手紙を残したことでも知られる。
曽祖父の人柄は「優しく家族思い」と聞いてきた。清凪ちゃんとともに仏壇に手を合わせることもある。追悼の場を経験することで幼い息子にも「曽祖父が平和を考えていたことを伝え、安心して過ごせる平和が当たり前ではないと感じてほしい」と願う。
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