表情曇らせる北方領土元島民

知床連峰の麓、北海道東部の羅臼町。北方領土を間近に見渡せるこの街に住む、国後島出身の脇紀美夫さん(83)は「ロシアのウクライナ侵攻後、北方領土返還交渉は全く進まなくなり、北方領土の元島民にとってはトンネルの出口を見失った感覚だ」と吐露する。

脇さんは北方領土元島民らによる団体「千島歯舞諸島居住者連盟(千島連盟)」の理事長を昨年5月まで8年間務めた。今年2月7日、「北方領土の日」を記念した根室市での「住民大会」にも参加し、750人の参加者とともに「北方領土を返せ!」とシュプレヒコールを繰り返した。


北方領土の返還を求める住民大会(2024年4月、根室市提供)

北方領土の日は、1855年に千島列島のウルップ島と択捉島との間に国境線を引いた「日ロ通好条約」調印の日に由来する。「住民大会」は地域最大級の返還運動の催しだが、根室市によると今年の動員は昨年比100人減。ロシアのウクライナ侵攻後、日ロ間の対話が滞るようになった現状に元島民の表情は曇る。

同じ2月7日、都内では政府などが「北方領土返還要求全国大会」を開いた。岸田文雄首相は「ロシアのウクライナ侵攻によって日ロ関係は厳しい状況にある」と前置きしたうえで、「政府として領土問題を解決し、平和条約を締結する方針を堅持していく」と返還実現への決意を語ったが、具体的な展望としては「北方墓参など四島交流事業の再開が最優先」と元島民の高齢化などに配慮を示すにとどめた。

北方領土は、北海道東部の根室地方の東側に広がる択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島からなる。面積は最大の択捉島が鳥取県とほぼ同じ3168平方キロメートル、2番目の国後島は沖縄本島を超える1490平方キロメートルある。

日本がポツダム宣言を受諾した後の1945年8月末から9月上旬にかけて、旧ソ連軍は北方四島を占領。当時の状態が現在も続いている。これに対し、日本外務省は「1855年の日ロ通好条約で択捉島とウルップ島の間に国境が確認された。北方領土は一度も他国の領土となったことがない、日本固有の領土」と位置付けている。

制裁に反発、交渉継続拒否

ロシアが2014年にウクライナ南部のクリミアを併合した後、安倍晋三政権はロシアとの平和条約交渉を優先し、米国などから難色を示されながらも早期に対話を再開した。一方、22年2月に始まったウクライナ侵攻後、岸田文雄政権は欧米各国と足並みをそろえて経済制裁に踏み切った。

制裁に軸足を置いた対ロ外交について、岸田首相は昨年5月の先進7カ国(G7)広島サミットを前にした寄稿文で「(ロシアの)力による一方的な現状変更の試みが行われている現実を目の当たりにし、『ウクライナは明日の東アジアかもしれない』との強い危機感を覚えた。だからこそ、厳しい対ロ制裁と強力なウクライナ支援によって侵略に毅然(きぜん)と対応する決断を行った」と説明。背景には、東アジアの安全保障環境悪化の中で、ロシアの行動を放置すれば中国や北朝鮮の活動を勢いづかせてしまうという危機感もある。

ロシアは日本の制裁発表直後の3月、領土問題を含む平和条約交渉の継続を拒否。1992年から続いてきた北方四島のロシア人島民と日本人のビザなし交流なども停止した。それから2年余り。ウクライナの戦況は膠着(こうちゃく)し、日ロ政府間の領土・平和条約に関する公式の対話は途絶えたままだ。

前のめり外交との落差

元島民たちが対ロ制裁に理解を示しながらも落胆しているのは、プーチン大統領と首脳会談を繰り返すなど前のめりな対ロシア外交を展開した第2次安倍晋三政権の時代(2012年12月~20年9月)と、現状との落差が大きいからだ。


日ロ共同記者発表を終え、握手を交わす安倍晋三首相(左)とロシアのウラジーミル・プーチン大統領=2019年6月29日、大阪市中央区(時事)

「安倍時代」の北方領土返還交渉を振り返っておこう。16年5月、当時の安倍首相はロシア・ソチでの首脳会談で北方領土、平和条約に関して「新しいアプローチ」で交渉を進める方針を打ち出し、プーチン大統領と合意。さらに18年11月のシンガポール首脳会談では「平和条約を締結した後、歯舞群島と色丹島を引き渡す」とした1956年の「日ソ共同宣言」を基礎に交渉を加速することでも一致した。事実上、「北方四島返還」を原則にしてきた日本が北方領土交渉の方針を「二島返還」へとかじを切った瞬間だった。(参照:北方領土交渉をめぐる経緯)

『安倍晋三回顧録』によると、18年9月にプーチン大統領から「年末までに前提条件なしに平和条約を結ぼう」と提案された安倍氏は、同年11月のシンガポール会談に向け「思い切って勝負しよう」「(共同宣言の)原点に戻ろう」と心に決めたという。その戦略は、プーチン露大統領との個人的関係を軸に、共同経済活動にも取り組みながら北方領土・平和条約交渉を活発化させるものだった。『回顧録』によれば、安倍氏は「本気で領土の返還を実現しようとするならば、まずは向こうが関心を示す案を示さなければならないのです」と語っている。

元島民たちは「四島返還」の枠組みが崩れることへの懸念を示しつつ、首脳同士の個人的関係も含めた交渉進展に大きな期待感を抱いた。前述の国後島元島民の脇さんは、政府への要請活動を通じて複数回にわたり当時の安倍首相と対話した経験から「安倍さんの北方領土問題解に対する思い入れは相当大きかった」と振り返る。


北方領土元島民の脇紀美夫さん(左から2人目)らと懇談する安倍晋三首相=2016年12月、東京・首相官邸(時事)

ただ、ウクライナ侵攻前から、対ロ交渉が行き詰まっていたのも事実だ。プーチン大統領は18年12月には、平和条約締結後に北方領土に米軍が展開する可能性への懸念を示唆。ロシア側は、北方領土は第2次世界大戦の結果によりロシアが合法的に獲得した、と認める必要性を改めて指摘した。20年7月には憲法改正により、領土の割譲禁止を明記。ロシアに対する譲歩を見せた上、得るものが少なかった安倍政権の対ロ外交について「失敗だった」とする指摘もみられた。こうした動きなどを踏まえ、安倍政権を引き継いだ菅義偉首相、岸田文雄首相は、ロシアとの交渉に積極的な態度を見せなくなっていた。

入国禁止、 灯台に国旗・・相次ぐけん制

ウクライナ侵攻後、ロシアは交渉の停止だけでなく、北方領土に絡み目に見えるけん制も続けている。2022年5月には岸田首相ら政府関係者や北方領土返還運動関係者らを入国禁止とし、23年4月には千島連盟を「好ましくない組織」に指定した。

北海道最東端の納沙布岬沖3.7キロ、肉眼でその姿を確認できる歯舞群島・貝殻島では、「実効支配を誇示」(元島民関係者)する動きもあった。23年夏、ロシア側が日本の領有権を無視するかのように、日本人が建てた灯台で国旗掲揚や壁面の色の塗りなおし、ロシア正教会の十字架設置などを行った。


ロシア側による工作が進む北方領土歯舞群島貝殻島の灯台。2023年7月には灯台の上部にロシア国旗が確認された(写真左、根室市在住の国後島元島民3世、板澤直樹さん撮影)。続いて壁が白く塗られ、上部にはロシア正教会の十字架などが掲げられた(写真右、根室沿岸海域から望遠レンズで住民撮影)

関係者にとって深刻なのは、北方四島への渡航が事実上できなくなっていることだ。ロシア側は「ビザなし交流」と「自由訪問」の政府間合意の効力を停止。人道的観点から枠組みを残している「北方領土墓参」も、元島民が多く加入する千島連盟を「好ましくない組織」に指定したことで、ハードルを高めた。

特に墓参は、中断を経ながら60年前から続いてきただけに元島民の落胆は大きい。22年からは船上から島に手を合わせる「洋上慰霊」で我慢をせざるを得なくなっている。

「交渉の糸口を」

北方領土の元島民は、平均年齢は88.5歳と残された時間はわずか。元島民は今年3月末時点で5135人となり、第2次世界大戦終結時の1万7千人に比べ約3割にまで減った。高齢化が進んだ元島民には「生きている時代の北方領土返還は難しいのでは」との悲観論も広がる。地元で活動を続け、今年87歳となる歯舞群島・勇留(ゆり)島出身で千島連盟根室支部長の角鹿泰司さんは「ロシアへの怒りは当然ある。日本政府が交渉の糸口を見つけられないのも残念だ。ただ、怒ってばかりいても前に進まない。日ロ関係が改善しなければ領土交渉は難しいので、これ以上お互いを刺激するような行動は控えてほしい」と苦渋の表情で語る。

北海道大学スラブ・ユーラシア研究センターの岩下明裕教授は「いずれ訪れるウクライナ戦争の停戦が、本格的な対話再開のチャンスになる。隣国同士の日ロは、対立していても災害や海の安全、漁業など2国間のさまざまな分野に加え、北東アジア地域全体に関する協議も必要で、コンタクトは取らざるを得ない。今はできることから連絡を密にして、次の機会に備えるべきだ。北方領土返還交渉を再び活発化させるには大きな壁ができているが、将来的な交流や墓参の再開はあり得ると思う」と指摘している。

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