「平和への誓い」を読み上げる被爆者代表の三瀬清一朗さん=9日午前、長崎市の平和公園

 男女の別も分からぬ血まみれの遺体、四方で上る死者を焼く煙―。平和祈念式典の被爆者代表に選ばれた長崎市の三瀬清一朗さん(89)は79年前、通っていた学びやが「死体処理場」に変わり果てた。惨禍を生き延びた自分の使命と感じ、原爆の語り部として活動している。9日、式典に参列した岸田文雄首相に「被爆国日本こそが、核廃絶に真摯に向き合って」と訴えた。  10歳だった1945年8月9日、爆心地から約3・6キロ離れた自宅で被爆した。閃光が走り、爆風で瞬時に家のガラスが粉々に。家にいた家族8人は奇跡的に全員無事で「母ちゃん、命があってよかった」と涙して抱き合った。  家の片付けなどが一段落した数日後、通学する伊良林国民学校の様子が気になり、駆け付けた。  救護所となった学校の体育館に隙間なく寝かされた人々はシャツを真っ赤に染めるほどのけがを負うなどしていて「楽になりたい」「殺してくれ」とうめき声を上げていた。治療の手は足りず、暑さと異臭の中で多くは程なく息絶え、身元の確認すらされぬまま、校庭で焼かれた。


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