<平和の俳句2024>

山田慎一さんの祖父母の写真と水ようかん=東京都内で(池田まみ撮影)

水ようかん戦争を見し人と食べ 山田慎一
〈選者・夏井いつき〉 戦争を見、戦争を生き抜いた人と、水ようかんを食べる。甘さや舌触りをしみじみと喜ぶ人の過酷な運命を思いつつ。

 「ひもじい思いをしちゃいけないよ」。東京都稲城市に住む教員、山田慎一さん(40)は、会うたびに必ずそう話す祖母の姿が忘れられないでいる。そんな夏の日の思い出を脳裏に浮かべながら、「平和の俳句」を詠んだ。

◆朝鮮半島から日本へ、乳飲み子を失い…

 山田さんの祖母フジノさんは佐賀県出身。1943年、同県出身で日本統治下の朝鮮で育った健吾さんと結婚し、新義州(現・北朝鮮)で暮らし始めた。健吾さんは当時、従軍経験があるものの負傷し、療養を経て新義州の高等女学校で教師をしていた。夫婦は現地で2人の男児をもうけた。  終戦は新義州より南にある沙里院で迎えた。一家はその2カ月後、約70人の団体で同地を脱出。総督府のあった京城を経て釜山港から出航し、45年11月10日、山口県の仙崎港にたどり着いた。引き揚げのさなか、乳飲み子だった次男は亡くなり、遺体は現地で埋葬されたという。山田さんの父親は戦後、日本で生まれた。

◆「元気にしとかんばよ」

 山田さんが佐賀の祖母宅に帰省すると、フジノさんはいろいろなものを食べさせてくれたという。おなかがすくことをとても気にしており、「ひもじいのはよくない」とよく口にしていた。健吾さんに顔立ちがそっくりという山田さんの手をなでながら、「元気にしとかんばよ」と語ることもあった。

祖父母について話す山田慎一さん=東京都内で(池田まみ撮影)

 2020年に97歳で亡くなった祖母は、果たして自身の体験を受け入れて戦後を過ごすことができたのだろうか―。入選句は、そんな亡き祖母への問いかけでもある。つるっとした「水ようかん」の喉ごしと、そう簡単にはのみ込めないだろう祖母の思いを対比させたという。「一緒に食べたけど、見ている世界は違ったのかもしれません」  終戦から間もなく79年になるが、世界中で争いは起こっている。戦争を知らない世代が大半を占めるなか、「戦争を止めることはできなくても、真剣に考えるためには、まずは知ることが大事」。気持ちを新たに、戦争の記憶を引き継いでいく。(飯田樹与)   ◇

◆8月31日まで毎日紹介します

 「平和の俳句」は、平和を自由な発想で詠んだ句を募集し、入選句を紙面で紹介する東京新聞の企画です。  10年目の今年は6033句というたくさんの応募をいただきました。日本は戦後79年ですが、世界では今も戦火が絶えることはなく、ウクライナやガザの人々に思いを寄せる句も目立ちました。  作家のいとうせいこうさん(63)、俳人の夏井いつきさん(67)に選んでいただいた入選句を、今日から8月31日まで毎日紹介していきます。 

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