21日は地元・徳之島の徳之島町でお別れ会が開かれ、地元の人など1000人以上が参列しました。そして、徳田氏の遺影に手を合わせて別れを惜しんでいました。

今月10日、神奈川県内の病院で86歳で亡くなった徳田氏は、1975年に医療法人「徳洲会」を創設しました。

「生命だけは平等だ」というスローガンのもと、離島などでの医療体制の充実にも力を入れました。

衆議院選挙にあわせて4回当選し、みずからが設立に携わった「自由連合」では代表を務めました。

徳田氏の次男で、元衆議院議員の徳田毅氏は「『命だけは平等』だという活動についてはたくさんの人たちが共感してくれた。父も徳之島に帰ってきて皆様にお会いできて喜んでいると思う」と話していました。

徳之島の天城町の70代の女性は、「徳田先生の病院のおかげで病気もよくなりました。ありがとうとしか言えません」と話していました。

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