山岳道路が通り、観光客や登山者が集う岐阜・長野県境の乗鞍岳(3026メートル)。明治~大正期、山上にこもり、時に遭難者を救った「仙人」がいたという。この仙人についての講演会が21日、岐阜県高山市で開かれる。

 「乗鞍仙人」「板殿(いたんど)仙人」と呼ばれた男性は、旧丹生川村(高山市丹生川町)の村史(1962年発行)に、別の文献を引く形で紹介されていた。

 同村板殿の人で、本名は板殿正太郎。「ゴマ塩のアゴヒゲを生やし白装束で山ばかりに住んでいた」ことから、「板殿仙人」と呼ばれるようになったという。

 乗鞍岳に小屋をつくって住み、岐阜県庁に座り込んで「乗鞍を岐阜県にとってしまわんと長野県にとられる」と開発の陳情もしたという。

 62年に娘やおいが乗鞍岳に記念碑を建てたと報じる当時の新聞記事が、高山市で料理店を営む子孫宅に残っていた。

「乗鞍山頂に板殿仙人の碑」と紹介した朝日新聞の記事によると、正太郎さんは1865年に生まれ、1928年に亡くなった。私財や集めた義援金を「山に注ぎ込み、橋をかけ、(登山)道路を改修した」という。

 講演するのは、県山岳連盟名誉会長で、飛驒の登山史を研究する木下喜代男さん(79)。古い文献にあたり、子孫に会ったという。「乗鞍はかつて信仰の山だった。登るのが容易ではなかった時代に登山者のために尽くした人がいたことを知ってもらえれば。何の仕事をしていたかなど謎が多く、想像もまじえて話したい」

 講演会は21日午後1時半から高山市丹生川文化ホールで。地元のまちづくり協議会が主催し、入場無料。(荻野好弘)

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