大阪市生野区を舞台に、外国にルーツをもつ子どもたちを描いた「共生のまち 生野」が、デジタル版での連載を終えました。昨秋からの取材で、担当記者らが何を感じ、どう伝えようとしたのか。企画を監修した石田一光デスクの司会で、振り返りました。
連載を担当した記者
大滝哲彰(29)広島、三重を経て、2022年から大阪社会部。直近では能登半島地震の現場を取材し、現在は裁判担当。 玉置太郎(41)2011年から大阪本社記者。昨秋、大阪・ミナミを長期取材した著書「移民の子どもの隣に座る」を出版。
石田 そもそも連載を企画したきっかけは?
大滝 大阪に転勤して以来、生野区に生活の拠点を置いて取材を続けてきました。昨春、地元でお世話になっている在日コリアンの取材先から「生野にインターナショナルスクールが2校できるらしい。しかも、閉校した小学校の跡地に」と聞きました。その話を玉置記者と雑談するなかで、記事にできないかと相談したのがきっかけです。
玉置 在日コリアンの人々が多く暮らす生野区で、多国籍化が進んでいるとは聞いていましたが、インター校が2校もできるとは驚きでした。大滝記者が夕刊社会面にインターナショナルスクールの記事を書きつつ、「さらに何かできないか」という話になり、思いついたのが長期連載。在日コリアンを取材してきた大滝記者と、外国ルーツの子どもを取材してきた私と、2人の関心が交差するテーマとして「生野で暮らす外国ルーツの子ども」を提案しました。
石田 取材した場所には、それぞれどんな狙いが?
連載で取材した団体・学校
①IKUNO・多文化ふらっと<玉置>NPOによる学習支援教室 ②大阪朝鮮初級学校<大滝>日本最大規模の初級学校(小学校) ③アブロードインターナショナルスクール大阪校<大滝>市立小跡に昨年移転 ④府立大阪わかば高校<玉置>来日生徒向け入試枠を設置
玉置 私自身が大阪市中央区で、外国ルーツの子の学習支援ボランティアを続けてきたので、子どもの「居場所」にはずっと興味があります。多文化ふらっとは小学校跡地を拠点にしていて、居場所としての力がすごい。大阪わかば高校には、私がボランティアとして関わった子も数人進学しましたが、先進的な日本語教育を採り入れていて、以前から取材してみたかったんです。
大滝 生野を語る上で、100年も前から移り住んできた在日コリアンの歴史を考えると、連載に「民族教育」は欠かせません。植民地支配で奪われた言語や文化を、在日コリアンの人々がどう取り戻してきたのか。たとえ、今の子どもたちが深く考えてはいなくても、朝鮮学校の実践から感じ取れることがあると思いました。
石田 取材で印象に残ったことは?
思わず涙が出た瞬間
玉置 インパクトがあったのは、わかば高校取材の初日、文化祭でしたね。舞台発表の幕開けから外国ルーツの生徒らの歌やダンスだったんですが、全校生徒と先生みんなで盛り上げる雰囲気が温かくて、思わず涙が出ました。「こんな学校が日本中にあればなあ」と。連載でも最初の場面にもってきました。
大滝 文化祭の描写は印象的でした。ルーツもばらばらな生徒たちの個性が表れ、それらを生かそうとする学校の特徴が感じ取れました。
私の方は、朝鮮学校での取材が記憶に刻まれています。これまで朝鮮学校といえば、高校無償化からの除外やヘイト事件など、「差別」の文脈で取材することが多かった。ですが今回は、「日常」を知ることに徹しました。子どもたちは、休み時間に好きなアイドルについて語り合い、運動場を駆け回る。放課後は部活動に熱中する。何も知らずに朝鮮学校を批判する人たちに、「まずは見てほしい」と思いました。
石田 取材や記事化で難しかった点は?
日常を淡々と書く難しさ
玉置 言語かな。来日間もない子は、日本語での会話が難しい。英語が達者な子は英語で話を聞けますが、それも難しい子はごく限られた語彙(ごい)でしかやり取りができない。そのぶん周囲の人に話を聞き、普段の様子をしっかり観察して、人となりを書き込むよう努めました。言語の壁は、マスメディアが外国ルーツの子たちをさらに「見えない存在」にしてしまう要因でもあるので、その点は意識しました。
大滝 学校生活って、日々「ドラマ」があるわけではありません。メディアが「ニュース」として取り上げる出来事が起きないなかで、定点観測を積み重ねて日常を描く。これは、簡単なようで難しい。ドラマチックな場面があると、つい飛びつきたくなるのですが、ぐっとこらえて淡々と書くことに徹しました。というのも、連載のテーマは「共生」。それが何も特別なことではない、当たり前の日常の積み重ねなのではないか、と感じていたからです。
石田 大滝記者は生野の長屋に部屋まで借りてましたよね。なぜそこまで?
生野の長屋に住んでみて
大滝 これまでの取材で多くの在日コリアンの人たちと出会い、「この人たちが生きてきたこの場所を、もっと知りたい」と感じました。部屋を借りたのは大阪コリアタウンの近く。かつて「猪飼野」と呼ばれた地域のど真ん中です。実際に生活をして、内側から猪飼野を見ると、みんなそれぞれに愛を持って、この地に生きていると感じました。そして、いろんな国籍の人と出会った。近所の公園でベトナム人の若者らがサッカーをしていたり、近くにネパールのカレー店ができたり。思わぬ発見から、このまちの「共生」を深く考えるようになりました。
玉置 大滝記者が部屋まで借りて覚悟を決めたのは、私にとっても連載取材に踏み切る後押しになりました。私も中央区で外国ルーツの住民が集まる地域に取材を兼ねて住んでいますが、「まち」レベルでの共生に向かう生野の姿には、在日コリアンの住民らによる実践の蓄積が生きていると感じます。「多文化共生」を掲げる日本の社会にとって、これから学んでいくべきヒントが、いくつもあったのではないでしょうか。(大滝哲彰、玉置太郎)
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