死者・行方不明者230人が出た北海道南西沖地震から31年を迎えた12日、最も大きな被害を受けた奥尻町にある町立青苗小学校(児童数22人)で「一日防災学校」が開かれた。
校区内の青苗地区は、深夜の地震発生直後に津波に襲われ、火災が起きて壊滅的な被害を受けた。
子どもたちはまず、津波避難訓練に取り組んだ。ベルを合図に身を守る行動をとり、ヘルメットをかぶって避難場所の裏山へ。急斜面を小走りで上がった。
31年前に祖父らが亡くなったと聞いている6年生の大須田風花さん(12)は「毎年4回の避難訓練は、命を守ることなので、本当に地震が起きたと思って真剣にやった」と話した。
この後、語り部の三浦浩さん(46)の話を全員で聞いた。
地震の夜、高校生だった三浦さんは、けがをした祖父を背負い、祖母と灯台へ続く坂道を上った。
「坂道にさしかかったところで水しぶきがかかった。ここで死んでたまるかと坂道を駆け上がった。命を守ることは幸せや喜びにつながります」と語りかけた。
5、6年生は東北学院大准教授の定池祐季さん(災害社会学)から、被災地の避難所について学んだ。定池さんは親の転勤で3年間、奥尻島で暮らし、中学2年の時に被災した。
島の避難所に設置された無料電話の取り次ぎを小学生がしていたことを紹介。「避難所では多くのアイデアを集めて、今できることを決めることが大切。みなさんができることもあります」と話した。(野田一郎)
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