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おしるこを「井筒屋」で食べた人はいませんか? 新富町の名物だったはず…味を何とか再現したい<ニュースあなた発>
現在の井筒屋=東京都中央区新富で
◆「串団子のほうがよく売れていた」
「お汁粉、売っていましたよ。どちらかというと、串団子の方がよく売れていたから、『お汁粉屋』と書いてあったのにびっくりしましたけど」。4月の記事では、「井筒屋」の外観の雰囲気を残しながら改修した建築家が、お汁粉の再現を目指していることを紹介した。小柴さんは本紙の読者。新聞をめくっているうちに記事が目に飛び込み、驚いたそうだ。 生まれてから1962(昭和37)年に結婚するまで、店舗上の住居に住んでいた。記事では「約3年前に女性が転居して空き家となっていた」と説明。この女性は、小柴さんの姉の絢子さんで、現在、中央区の別の場所に住んでいるという。◆焼き餅が二つ、こしあんを使って、甘さは控えめ
さて、お汁粉の味は―。小柴さんによると、店ではみたらしやあんこの団子を売っていたといい、「団子に使うあんこをお湯で緩くしてお汁粉にしていた」。お汁粉には「焼いたお餅が二つ入っていた。こしあんを使って、甘さは控えめ」だったという。井筒屋の思い出を語る小柴浩さん=東京都立川市で
店は、関東大震災(1923年)のころには既にあったと父親から聞かされた。午後10時まで営業し、小柴さんも小学校から帰ってきて店番をした。店の前には角テーブルや丸テーブルが置かれ、向かいにあった新富座で活躍していた松竹歌劇団の踊り子たちが、休憩時間や稽古後にやってきてはお汁粉を食べていったという。「俳優の神田正輝さんの母、旭輝子さんもよく来ていた」と懐かしがった。 店構えのスケッチが描かれたテレホンカードも残っていた。そこには今はない陳列棚やひさしが描きこまれていた。漆塗りのばんじゅう(運搬容器)には、金文字で「新富座井筒屋」と入っていたと記憶。母の実家が福島県会津若松市の漆問屋だったので、「そこで作ってもらったのかな」と思いをはせた。◆2025年の春ごろには「再現」したお汁粉を
井筒屋のスケッチが描かれたテレホンカード=東京都立川市で
井筒屋を事務所兼ギャラリーにリノベーションした建築設計会社「ザ・デザインラボ」代表の建築家板坂諭(さとし)さんは、記事をきっかけに、捜していた店の関係者とつながることができた。「小柴さんの話を基に、来年の春ごろには大正時代をイメージしたお汁粉を作りたい」と意気込んでいる。 【関連記事】待ってました!こども歌舞伎 「新富座」現代に継承 保護者や地域企業サポート 鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。