<ミャンマーの声>
 3年前に軍事クーデターが起きたミャンマーで苦しむ人々を支援するため、東京都内の街頭で募金活動を続けるミャンマー人の少年がいる。区立中学2年のナインさん(13)。胸の中にある母国への思いを聞いた。(北川成史)  「森の中の避難民キャンプでは食料や薬、衣類が不足し、子どもたちの勉強道具もありません。皆さまの力が必要です」。6月上旬の日曜、ナインさんはJR高田馬場駅前で在日ミャンマー人の仲間と声を上げた。

東京・高田馬場駅前で、母国の子どもらのために声を上げるナインさん

◆コロナ禍で対面授業中止、父が働く日本へ

 ミャンマーが軍政下の2010年、同国人の両親のもと、都内で生まれた。父(53)は1988年にミャンマーで広がった民主化運動に参加後、国軍の弾圧を逃れるため日本に来た難民だ。  ミャンマーはその後、いったん民政移管。2015年、アウンサンスーチー氏率いる国民民主連盟(NLD)が総選挙で圧勝した。ナインさんは国の発展を期待する母(48)とミャンマーに渡った。最大都市ヤンゴンで私立学校に通ったが、20年、コロナ禍で対面授業が中止になったため、父が働く日本に。滞在中の21年2月1日に起きたのが軍事クーデターだった。

◆朝起こされると「軍が国を乗っ取った」

 「朝7時ごろ、お父さんに足を揺すられ、起こされた。『軍が国を乗っ取った』と。『何を言ってるの』と思った」。実感が湧かなかったが、ヤンゴンでの抗議活動や国軍による弾圧に関する動画が、ナインさんの元に親せきなどから次第に届くようになった。  同年5月ごろ、ナインさんは募金活動に参加し始めた。「クーデターはすぐ終わると思っていた」。しかし、国軍は強硬姿勢を崩さず、民主派との内戦に発展。人権団体によると、国軍によって5300人以上の市民が殺害された。民主派が樹立した「挙国一致政府(NUG)」は子どもの死者が800人を超えたと主張する。また、国連の推計で約300万人の国内避難民が発生している。  「僕より未来がある幼い子が山や森の中に避難している。教育を受けられず、人生が無駄になる恐れがある。胸が苦しい」。ナインさんは心中を吐露する。

◆「自分だけ安全な海外にいて、情けない」葛藤

 ヤンゴンにいる同級生には「おまえ、日本にいて本当に運がよかったな」と言われた。学校周辺にも国軍兵士や警察官がうろつき、「下手なまねはするなよ」と圧力をかけている雰囲気なのだという。

2022年、東京・飯田橋駅前での街頭募金で、ミャンマー市民の苦境を伝えるチラシを手にするナインさん(本人提供)

 「自分だけ安全な海外にいて、情けないなという気持ちもある」。ナインさんは葛藤を抱えながら、同級生らを気遣う。「あいつらのほうが優秀なのに。軍が子どもたちの夢を壊し、未来を見えなくした感じだ」  ミャンマーでは当局の監視が強まり、デモやSNSで国軍を批判するのは難しい。「代わりに自分が声を上げたい。子どもの声を聞いてほしい」と願う。  日本で航空技術を学び、軍政が終わったミャンマーに戻って伝えたいとナインさんは望む。そして、同国の若い世代に思いを向ける。「少しでも幸せにできることはないかを考え、できる限りの支援をしたい」 

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