40年間お疲れさまでした――。新紙幣が20年ぶりに発行された3日、県内でも日銀から各金融機関への新紙幣の引き渡しが始まった。40年にわたり1万円札の肖像だった福沢諭吉。故郷・大分県中津市では、市民らが「福沢の40年」に自らの40年を重ねながら肖像交代を惜しんだ。

 大分市長浜町2丁目の日本銀行大分支店では、県内の金融機関に向けて3種類の新紙幣が引き渡された。

 同支店によると、各金融機関が日銀に預けている預金を引き出す際の現金が、この日から新紙幣になった。金融機関の委託を受けた警備会社員が、ビニールにまかれてブロック状になった新紙幣を、券種ごとにジュラルミンのケースに移して慎重に運び出していた。3日だけで82億円分を引き渡したという。

 日銀大分支店の安徳久仁理(くにまさ)支店長は「2019年4月から約5年にわたり進めてきた準備が円滑に進み、発行の日を迎えられたことをうれしく思う」と述べた。

 新紙幣発行後も、旧紙幣は通常通り使用できる。日銀は「古いお札が使えなくなるという話は詐欺。気を付けてほしい」と呼びかけている。(高嶋健)

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 中津市の福沢記念館と旧居は3日、福沢への感謝を込めて無料開放された。記念館の外壁には「40年間おつかれさまでした」と書かれた垂れ幕を掲示。来館者からは慣れ親しんだ紙幣が変わるのを寂しがる声が聞かれた。

 福沢が1万円札に登場したのは1984年。それまでの聖徳太子と交代した。市職員になって3年目の青年だった泉史朗館長(65)は「駅前の商店街はにぎわい、街が盛り上がったのを覚えている」と懐かしむ。当時の館長は父・善市さん(故人)。同年度の有料来館者は21万人を超え、善市さんも忙しそうにしていたという。「不思議な縁を感じる。貴重な資料を後世に伝えていきたい」

 娘と一緒に来館した市内の自営業の女性(58)は、高校生だった40年前、新紙幣発行記念のマラソン大会で走ったという。中津を全国に知らしめた郷土の偉人に「ありがとうございました」と感謝しつつ、「時代を先取りした『福沢イズム』をもっと深めてほしかった。新紙幣に慣れるのは時間がかかりそう」と話した。(貞松慎二郎)

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