南方澳漁港の全景=2024年5月10日、台湾北東部・宜蘭県蘇澳鎮(共同)

 愛媛県や高知県などから日本統治時代の台湾北東部、宜蘭県蘇澳へ渡った漁業移民の歴史を通じ、日台交流を模索する動きが出ている。移民らは蘇澳にある台湾有数の南方澳漁港の礎を築いた。蘇澳鎮政府は8月にも愛媛県市長会の訪問団を受け入れ、交流促進の足掛かりにしたいと計画している。(共同通信=渡辺靖仁)

 台湾側資料によると、1921年、台湾を統治する総督府が漁業振興を目的に南方澳漁港の建設に着工、1923年に完成させた。日本からの漁民移住も奨励し、愛媛県や高知県から移り住んだ。1933年時点で漁港周辺には台湾人の2倍近い約800人の日本人が住んでいた。

 地元の歴史研究家、頼栄興さんによると、当時は日本人の漁船で働く地元の人もおり、発動機を搭載した漁船や日本の漁法が地元漁民にも伝わった。終戦で移民は日本に引き揚げたが、魚市場や製氷所などのインフラは残り、その後の漁港の発展に貢献。大漁旗を掲げるなど日本の文化も受け継がれたという。

 宜蘭県の博物館などは2021年に漁港の建設着工100周年の記念学術フォーラムを開いたが、新型コロナウイルス感染症が流行していたため、日本の研究者らはオンラインで参加することしかできなかった。

 台湾愛媛県人会のメンバーやフォーラムの運営に携わった陳財発さんがコロナ禍収束を受け、改めて交流の機会を探ってはどうかと蘇澳鎮政府などに提案。陳さんは「漁業移民の故郷と蘇澳には『歴史上の縁』がある。交流するのに遅すぎることはない」と話す。

 南方澳漁港は、台湾も領有権を主張する沖縄県・尖閣諸島周辺で操業する漁民の拠点でもある。2012年の日本政府による尖閣諸島国有化に抗議する漁船団が同港から出港したことも。蘇澳鎮の李明哲鎮長は、2013年の漁業協定の締結で日台双方が漁業権を巡る争いを解決したことにも触れ「南方澳と日本との関係は密接。100年前の歴史を振り返ることで、改めて関係を深めることができる」と期待を込めた。

台湾北東部・宜蘭県蘇澳鎮で取材に応じる李明哲鎮長=2024年5月10日(共同)
台湾地図
台湾北東部・宜蘭県蘇澳鎮で大漁旗について説明する頼栄興さん=2024年5月10日(共同)

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