◆福島でも半年くらいたってから不安を訴える電話が
いのちの電話の開設は北陸では初めて。準備段階から関わってきた福島いのちの電話の三瓶弘次事務局長(72)は「福島の被災者も半年後ぐらいから、心の不安を訴える電話が増えた」と振り返る。「福島いのちの電話」で相談を受けてきた三瓶弘次事務局長は「東日本大震災後も半年ぐらいたってから不安が増すなど相談が増えた」と話す=福島市内で
三瓶さんによると、震災直後は安全に暮らす場所の確保や亡くなった人の弔いなどで今後を考える時間もない状況が続くが、半年ほどたち一段落すると「将来が見えないことに悩んだり、これからどうしたらいいのかと考え不安を感じ始める」という。 東日本大震災と原発事故から半年たったころ、福島でもそうだった。当初は避難先確保など生活に関する相談が多かったが、「避難で家族がばらばらになり、認知症が進んだ」
「地元にいつ帰れるか分からない。避難先で居場所がなく孤独」
「故郷の集落がなくなるのでは」
「将来が見えず不安。生きていたくない」
「家族がうまくいかなくなった」
など心の悩みを訴える相談が増えていったという。 時間がたつにつれ、相談の深刻さは増した。夫婦で畜産や稲作をしていた女性は、70歳過ぎで避難生活となった。「負けるな、頑張れと言うけど、べこ(牛)も田んぼもない所で何を頑張れるのか。父ちゃんは酒を飲むようになった」と数年後に電話口で語った。
「福島いのちの電話」で話を聞く担当者。能登半島地震から半年を前に北陸でも電話相談を始める=福島市内で
福島の海沿いの町に住んでいた女性は、津波が迫る中「私のことはいいから(保育園児の孫を連れ)早く逃げなさい」と叫ぶ足の不自由な義母を、泣く泣く置いて高台に逃げたことを震災から6年たってから電話で吐露した。「夫にも言えない。誰かに聞いてもらわないと耐えられない。あれからずっと泣けない」◆「追い込まれる前に…気にかけていると伝えたい」
三瓶さんは元日の能登半島地震の被害を報道で知ったとき、これは大変なことになると感じた。 「真っ暗なトンネルの中から抜け出せないまま苦しんでいる人や、誰にも話せず1人で悩んでいる人もいると思う。自殺に追い込まれる前に、何とか話を聞くことができたら」と願う。 その上で「電話をかける気力もない人もいる。だからこそ、こちらから電話をすることで『覚えていてくれた』と喜ばれる。そんな人たちの話を聞き、気にかけている人がいると伝えたい」と語った。 相談は、3日前までの予約が必要。フリーダイヤル=(0120)556189=の音声ガイダンスに従って日時を入力すると、相談員から電話がかかってくる。いのちの電話 1953年にロンドンで始まった自殺予防のための電話相談がきっかけ。日本では1971年10月に東京で電話相談が始まった。孤独や不安を抱えていたり、つらい思いをしていたりする人が生きる力を取り戻せるよう相談員がボランティアで支える。1977年に日本いのちの電話連盟が結成され、現在、北海道から沖縄まで50センターあるが、能登半島地震の被災地の石川県など北陸3県にはない。約5800人の実働相談員がいる。
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