「自衛隊海外出動せず」決議
1954(昭和29)年 防衛庁設置法と自衛隊法(防衛2法)の成立に合わせて、参議院が本会議で「自衛隊の海外出動を為さざることに関する決議」を全会一致で可決。防衛2法に基づき、専守防衛のための「必要最小限度の実力」として陸、海、空の3自衛隊が翌月に発足するのに先立ち、「本院は、自衛隊の創設に際し、現行憲法の条章と、わが国民の熾烈(しれつ)なる平和愛好精神に照らし、海外出動はこれを行わないことを、茲(ここ)に更(あらた)めて確認する」と決議。
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その他の出来事
初代国技館が両国に開場
1909(明治42)年 大相撲初の屋内常設会場「国技館」が東京・両国に完成し、開館式が行われた。辰野金吾とその教え子葛西萬司が設計し、ドーム型の天井を鉄の骨組みで支える構造で、「大鉄傘」の愛称がつけられた。完成からわずか8年後に火災で焼失し再建、その後も関東大震災、太平洋戦争での空襲と2度も火災に遭った。戦後は連合国軍総司令部(GHQ)に接収され、蔵前国技館を経て、旧国技館とは別の両国の敷地に現国技館が建設され、1985年1月に開館した。
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ジャンボ機尻もち、御巣鷹山墜落事故の遠因に
1978(昭和53)年 日本航空(JAL)のジャンボ機が伊丹空港に着陸する際、後部胴体下部を滑走路に接触させる「尻もち事故」を起こした。事故で生じた圧力隔壁の損傷を米ボーイング社が修理したが、隔壁のリベット留めが不十分な状態が見過ごされたままで運航し、7年後の85年8月12日、同機は大阪に向け羽田を離陸した後、群馬・御巣鷹山に墜落。乗員乗客524人のうち520人が犠牲となった。後部隔壁の金属疲労による破断が原因とされる。
札幌ドーム開業 野球もサッカーも
2001(平成13)年 サッカーと野球の両試合に対応した全天候型の札幌ドームが営業開始。2002年のサッカーワールドカップ日韓大会の試合開催に向け札幌市が約400億円を投じて建設。Jリーグ・コンサドーレ札幌が開業時からホームスタジアムとして使用。天然芝サッカー場移動方式を採用しドーム内で試合ができる。プロ野球・日本ハムファイターズが04年から本拠地としていたが、23年シーズンから北広島市のエスコンフィールド北海道に移転したため、収益の柱を失った。
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