目次

  • 再審 判決に向け大きな節目に

  • 最大の争点 “衣類の血痕に赤みが不自然か”

再審 判決に向け大きな節目に

58年前の1966年に今の静岡市清水区で、みそ製造会社の専務一家4人が殺害された事件で死刑が確定した袴田巌さん(88)の再審は、去年10月から静岡地方裁判所で行われてきました。

再審では、事件の発生から1年2か月後に現場近くのみそタンクから見つかり、有罪の決め手とされた「5点の衣類」に付いていた血痕に赤みが残っていたことが不自然かどうかが、最大の争点になっています。

弁護団が「1年以上みそに漬かっていたら血痕は黒く変色するはずだ」として、衣類はねつ造されたものだと訴えているのに対し、検察は「長期間みそに漬けられた血痕に赤みが残る可能性は認められる」と主張しています。

有罪を求める立証を行ってきた検察は22日の審理で死刑を求刑するとみられ、弁護団は改めて無罪を主張する見通しです。

また、22日は事件で亡くなった専務夫婦の孫の意見陳述が、検察官が意見書を読み上げる形で行われます。

そして審理の最後には袴田さんの姉のひで子さん(91)が意見を述べる予定です。

逮捕から半世紀あまりにわたって無罪を訴え続けてきた袴田さんの再審は、判決に向けて大きな節目を迎えます。

最大の争点 “衣類の血痕に赤みが不自然か”

最大の争点は「5点の衣類」に付いていた血痕に赤みが残っていたことが不自然かどうかです。

「5点の衣類」は、事件の発生から1年2か月後の、すでに裁判も始まっていた時期に現場近くのみそタンクから見つかった血のついたシャツやステテコなどで、死刑が確定した判決では袴田さんが犯行当時着ていたものだとして、有罪の決め手とされました。

当時の捜査資料では、血痕について「濃い赤色」などと記されていました。

これについて再審請求の審理で弁護団は「1年以上みそに漬かっていたら血痕は黒く変色するはずで、赤みがあるのは発見される直前に袴田さん以外の誰かが入れたものだからだ」と主張。

争点は血痕の色の変化に絞られ、弁護団が鑑定を依頼した法医学の専門家は「血液がみその成分にさらされると黒く変色する化学反応が進み、1年2か月の間、みそに漬けた場合、赤みが残ることはない」と結論づけました。

去年3月、東京高等裁判所は弁護側の専門家の鑑定結果などを踏まえ、「1年以上、みそに漬けられると血痕の赤みが消えることは化学的に推測できる」と指摘し、捜査機関が衣類をねつ造した可能性が極めて高いとして、再審を認めました。

そして、去年10月から静岡地方裁判所で始まった再審でも、再び血痕の色について争われてきました。

検察は再審での新たな証拠として、法医学者7人による「共同鑑定書」を提出し、「長期間、みそに漬けられた血痕に赤みが残る可能性は認められる」と主張しています。

一方、弁護団は鑑定を依頼した専門家による意見書を新たに提出し、「検察側の専門家の主張を踏まえても、血痕に赤みが残らないという結論は揺らがない」と反論しています。

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検察側の専門家 “弁護側の鑑定に異論ない”

最大の争点となっている血痕の色の変化をめぐっては、ことし3月の審理で検察と弁護団の双方が申請した専門家の証人尋問が行われました。

このうち検察の要請を受けて法廷で証言した専門家の1人、日本法医学会の元理事長、池田典昭さんがNHKの取材に応じ、争点に対するみずからの見解を語りました。

池田さんは証人尋問で弁護側の専門家の鑑定について「異論はない」とした上で、「おそらくほとんどの法医学者が1年以上みそ漬けされた血痕に普通、赤みは残らないと思っている。誰が考えても常識だ」と証言しました。

この証言について池田さんはインタビューで「弁護側の専門家の実験自体は文句のつけようがないと思う」と述べ、一般的に赤みが残らない可能性については「95%ぐらいだと思う。そういうレベルの議論だ」と話しました。

一方で、池田さんは、弁護側の専門家の鑑定は血痕が黒くなる化学反応を妨げる要因の検討が不十分だとして、「赤みが残らないとは断定できない」という見解を示しました。

ただ、みそタンクの中で衣類がどのような環境に置かれていたのかなど、わかっていないことが多く、科学的な証明には限界もあるとして、「なんとも言えないというのが結論だと私は思った」と述べました。

弁護団側の専門家「赤み残らない 断定できる」

一方、弁護団の要請を受けて法廷で証言した専門家は血痕を1年以上みそに漬けた場合、「赤みが残らないと断定できる」という見解を示しています。

弁護団からの要請を受けて、「5点の衣類」についた血痕の赤みについての鑑定を行った旭川医科大学の奥田勝博助教は再審の法廷で弁護側の証人として証言しました。

検察側の専門家が弁護側の鑑定結果について「異論はない」などと証言したことについて、奥田助教は「発言を聞いた時は正直驚いた」と述べました。

その上で、検察側の専門家が「赤みが残らないとは断定できない」という見解を示していることについて、奥田助教は「みそに漬けた期間が数日とか数週間であれば断定はできないかもしれないが、1年2か月という期間は時間の単位が違いすぎるので、黒くなる化学反応を妨げる要因を考慮する必要はない。赤みが残らないと断定できる」と反論しました。

姉 ひで子さん「無実だと最初から手紙に」

袴田巌さん(88)の姉のひで子さん(91)は、袴田さんが逮捕されて以来、無実を信じて半世紀以上にわたり支え続けてきました。

袴田さんは2014年に釈放が認められ、48年ぶりにひで子さんのもとに帰ってきましたが、死刑への恐怖のもとで長期間収容された影響で、十分な会話ができない状態になっていました。

それから10年たった今も、意思の疎通が難しい状態が続いている袴田さんは再審での出廷が免除され、ひで子さんは補佐人としてこれまですべての審理に臨んできました。

去年10月の初公判でひで子さんは証言台の前に立って無罪を主張し、「弟の巌に真の自由を与えてくださいますようお願い申し上げます」と述べました。

22日に行われる審理の最後に、ひで子さんは再び法廷で意見を述べる予定です。

意見陳述を前にひで子さんは袴田さんが逮捕された後、毎日のように家族のもとに送っていた手紙を読み返していました。

逮捕された翌年の1967年に母親に宛てた手紙には、「僕は犯人ではありません。僕は毎日叫んでいます。ここ静岡の風に乗って世間の人々の耳に届くことを、ただひたすらに祈って僕は叫ぶ」などと、無実の訴えがつづられています。

ひで子さんは手紙の内容を抜粋して、弟の思いを裁判官に伝えたいとしています。

そして、1日も早く袴田さんを「死刑囚」という立場から解放してあげたいと願っています。

ひで子さんは「私の意見というより巌の意見を言いたい。巌はいま、自分の意見を言えないが、無実だということは最初からずっと手紙に書いていた。これが巌の本心であるということ、真実であるということをわかってもらいたい」と話していました。

再審 40年以上たって実現 なぜ?

袴田巌さんの再審は、申し立てから40年以上たって実現しました。

再審に至るまでに長い時間がかかったことを受け、ことし3月には再審に関する法律や手続きを見直そうと、超党派の国会議員による議員連盟が発足しました。

再審の制度は通常の刑事裁判とは違って審理の進め方や証拠開示のルールが具体的に定められておらず、再審請求の審理が長期化する要因になっているとの指摘があります。

議員連盟のヒアリングで最高裁判所の担当者は「証拠開示で時間がかかることもある」などと話しました。

法務省の担当者は有識者などでつくる協議会が再審での証拠開示についても議論しているとした上で、「個々の事案の内容、証拠の量などさまざまな事情が積み重なっているので、何が長期化の原因になっているかを一概に評価するのは難しい」などと述べました。

一方、小泉法務大臣は4月、の衆議院予算委員会で再審の制度の運用について「審理期間がたくさん伸びて、非常に長い期間かかっている事例があるのは事実だ。どうしてそういうことになったのか突き詰めて分析・検討し、原因を究明して対応していくことは今、取り組んでいるところだ」と述べています。

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