1972年にドイツで開かれたミュンヘンオリンピックでは、イスラエル選手団の宿舎が武装したパレスチナの過激派に襲撃され、選手とコーチの2人が殺害されたほか、人質となった9人が銃撃戦に巻き込まれ死亡しました。

6日、事件の犠牲者を追悼する式典がパリ市内のイスラエル大使館で行われ、多くの武装した警察官が警戒にあたる中、遺族やIOC=国際オリンピック委員会のバッハ会長、それにイスラエルの選手など合わせて100人以上が参列しました。

式典では黙とうがささげられたあと、遺族らが犠牲者と同じ数の11本のろうそくに火をともしました。

イスラエルをめぐっては今大会、ガザ地区で続く戦闘を背景に、選手や国歌へのブーイングも起きていますが、式辞でイスラエルのザルカ大使は「52年前の事件といまの状況が重なって見える。イスラエル人だというだけで、敬われず祝いもされない状況に満足すべきなのだろうか」と述べ、懸念を示しました。

セーリング男子で金メダルを獲得したルーベニー選手は式典のあと「自由を求める人たちが戦争で命を失っていることが悲しい。いつの日かオリンピック精神によって友好と平和が実現することを願っている」と話していました。

式典の会場周辺ではさまざまな声が

パレスチナのガザ地区で戦闘の犠牲者が増え続ける中、イスラエルによる追悼式典が行われたことに、会場周辺ではさまざまな声が聞かれました。

フランス人の50代の男性は「過去の出来事に追悼の意を示すという選択は尊重されるべきだが、パレスチナ人も被害を受けている」として、式典開催への疑問を口にしました。

一方、スペインからオリンピック観戦に訪れた20代の男性は、式典が地元当局の厳重な警備の中で行われたことに「フランスはイスラエルと親密な関係にあり、ユダヤ人も多いので、追悼の気持ちも強いのではないか」と話し、理解を示していました。

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