ウクライナのゼレンスキー大統領は、26日に行われたNHKとの単独インタビューで2014年にウクライナ東部で始まった親ロシア派の武装勢力とウクライナ軍の戦闘をめぐって結ばれた「ミンスク合意」と呼ばれる停戦合意に言及しました。

「ミンスク合意」の中で、親ロシア派が占領する東部の2州に高度な自治権を持たせる「特別な地位」を与えていることも念頭に「この合意は何の意味もない文書だ。紛争を凍結させるもので、ウクライナの新しい国境線を固定化させるものだ」と述べました。

そして「誰かが利益を得たが、ウクライナではない。凍結された紛争で、投資もEU加盟もNATO加盟も実現しない。すべてがゼロになる」と述べ、停戦合意を結んだことでEU=ヨーロッパ連合やNATO=北大西洋条約機構への加盟も阻まれることになったと指摘しました。

そのうえで「危険なわなだった」と述べ、停戦を重視するあまり「ミンスク合意」によって結果的に領土の占領や、おととしのロシアによる全面的な軍事侵攻につながったという認識を示しました。

そして、ゼレンスキー大統領は今回の侵攻について「非公式に紛争を凍結させようという申し出があった。しかし、何の前提条件もなしにこのような話をするのは危険だ」と述べ、「ミンスク合意」の教訓から同じ過ちを繰り返さず領土の奪還を目指して妥協しない考えを強調しました。

戦争の終結に向けては、ゼレンスキー大統領はみずからが提唱する和平案を話し合う平和サミットを開催していて、「ミンスク合意」がフランスとドイツの2か国の仲介で締結されたことも踏まえ、今回は多国間の枠組みで実現したい考えとみられます。

対立を残した「ミンスク合意」 侵攻に至るまで

ウクライナでは2014年、南部のクリミア半島がロシアに一方的に併合されたあとロシアを後ろ盾とする親ロシア派の武装勢力が東部のドネツク州とルハンシク州の一部を占拠して一方的に独立を宣言し、政府軍との戦闘を始めました。

東部2州でのウクライナ軍と親ロシア派の停戦に向けてウクライナとロシアなどが結んだのが「ミンスク合意」です。

2014年にいったんベラルーシの首都ミンスクで停戦に合意したものの守られず、2015年にドイツやフランスの仲介により改めて結んだ合意と合わせて「ミンスク合意」と呼ばれています。

合意では停戦とともに、ウクライナが憲法を改正し親ロシア派が占領する東部の2州に高度な自治権を持たせる「特別な地位」を与える一方、親ロシア派が掌握した国境管理をウクライナ側に戻すという内容が盛り込まれました。

しかし、当初の履行期限の2015年の年末までに合意内容が果たされないまま期限が延長されました。

停戦違反も散発的に続き、2019年に就任したゼレンスキー大統領は、その年の12月、フランスでロシアのプーチン大統領などと会談し、年末までに完全な停戦を実施することで一致しましたが、東部の扱いをめぐる主張の隔たりは埋まりませんでした。

おととし、2022年2月、ロシア軍がウクライナ周辺に集結して緊張が高まる中、フランスのマクロン大統領はプーチン大統領とゼレンスキー大統領のいずれとも合意の履行を徹底することで一致したと明らかにしました。

しかし2月21日、プーチン大統領は親ロシア派の支配地域を独立国家として承認する大統領令に署名し、翌22日には「平和維持」の名目でロシア軍を送り込む準備を整え、記者会見で「ミンスク合意はすでに以前から葬られていた」と正当化しました。

ロシアがウクライナへの本格的な侵攻を始めたのはこの2日後です。

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