2024年8月23日,ゲーム開発者向けカンファレンス「CEDEC 2024」にて「うれしさの循環を実現する東芝のデザイン 〜社会インフラ領域のUXとUIデザイン〜」と題したセッションが行われた。


 当セッションでは,社会インフラ事業を扱う東芝のデザインの紹介を通して,BtoB(Business to Business)領域におけるデザインの潮流が解説された。登壇者は,東芝 CPSxデザイン部 デザイン統括室の井戸健二氏だ。井戸氏は1997年の東芝入社後,30年近くにわたり多くの製品やシステム,サービスに従事している,デザインと人間工学の専門家である。


 「デザイン」とは,狭義には製品の見た目を良くしたり,情報を見やすくしたりするといった意味で使われている言葉だ。しかし井戸氏や東芝が目指すべきとするデザインは,製品やサービスをどのようにして楽しんでもらうか,愛着を持ってもらうかについて深く向き合い,あらゆる部門が協力しながら,「新しい価値」を作っていくものだという。

 多くの人にとって,普段は知る機会がない社会インフラ領域のUIデザイン。その裏側には,ゲーム業界人にとっても見逃せないであろう貴重なノウハウがぎっしりと詰まっていた。



関わる人全員の「うれしさの循環」を思い描く


 東芝といえば,白物家電やテレビ,PCなどを製造・販売する総合電機メーカーというイメージが強いが,これらのコンシューマ事業はここ10年ほどの間にいずれも売却されている。では,今はそもそも何をやっている会社なのか。この疑問に答える意味もあり,まずは現在の東芝の事業内容とデザイン部門の説明が行われた。

 1875年(明治8年)創業の東芝には,電力・上下水道・放送・空港・鉄道など,多くの事業の基幹となるシステムや製品を供給してきた長い歴史がある。もともと家電製品などのコンシューマ事業と,こうしたBtoBの社会インフラ事業を両輪で行ってきたが,現在は後者に集中する会社になったというわけだ。


 では,井戸氏が所属する東芝のCPSxデザイン部に課せられたミッションとはどのようなものなのか。これは一言でいうと「UX(ユーザーの体験)により価値を最大化し,CPSテクノロジー企業への変革をけん引していく」立ち位置であるという。

 「CPS」(Cyber Physical System)とは,サイバー技術とフィジカル技術の融合により新たな価値を創出するサイクルのことだ。具体的には,現実世界のインフラや産業用の機器からさまざまな情報を吸い上げ,そこから加工・分析したデータを現実世界にフィードバックしていく……といった流れのことであると井戸氏は説明する。


 CPSはとても複雑であり,利害関係者(ステークホルダー)も多いことから,ここに「新たな価値」を創ることは部門単体や1企業単体では難しいものとなっているという。その背景にある事情として,「人々の価値観の多様化」「インターネットの発展」「社会課題への直面・対応の必要性」といった要素が積み重なっていることも要因に挙げられる。


 このように,従来以上に「共創」「協働」を重視したモノづくりが必要になってきたことから,東芝が取り組んでいるのが「カスタマーバリューデザイン」というデザイン思考だ。この取り組みでは,ビジネス部門(企画や営業)も,技術部門も,クリエイティブ部門も協力し合い,さらにその中心にいる顧客(BtoBの場合,依頼元の企業や組織のこと)の知恵も使って,価値を創っていくことを目指しているという。


 こうしたモノづくりの結果として,最終的には顧客企業の先にいるエンドユーザーにも喜んでもらえて,かつ社会的な意義があり,良くなった社会の恩恵を受けることで生活者の暮らしが豊かになっていく。この理想的なWin-Win状態のことを,東芝では「うれしさの循環」と呼ぶ。
 常にこの理想像を思い描いていけば,目指すべきデザインは自然と絞られてくることから,東芝のデザイナーにとって道しるべになる考え方であると井戸氏は語った。



鉄道会社の“スジ屋”という仕事の本質を見つめたクラウドサービス


 社会インフラ分野におけるUIデザインの実例紹介に入る前に,井戸氏が説明したのが「UX向上のためのUIデザイナーの役割」だ。

 UI(ユーザーインタフェース)は,ボタンや操作画面など,製品やサービスとユーザーのタッチポイントとなるもの。このUIに関わった結果,人の体験として残るものがUXなので,質の高いUXを生み出すためには,UIのデザインがとても重要な要素となる。


 井戸氏が定義する東芝のUIデザイナーとは,「UIデザインという専門性を持ったうえで,共創のキープレイヤーとして立ち回る人材のこと」。つまり,最終的なビジョンを実現するために,それを共創するメンバーに共有し,あるべき製品やサービスの姿を描き,魅力的なUIに落とし込んでいくまでのあらゆるプロセスに関わる。
 旅館向けの情報システムをデザインするとなれば,現場に出向いて実際の仕事を確認するワークショップを行う。ハードウェアと一体になったUIを考えるためには技術者と直接話をする,といった具合だ。


 こうしたデザイナーの立ち回りの成果として生まれたという,東芝のUIデザインの事例が紹介された。

 1つめは,鉄道会社の輸送計画業務用クラウドサービスである「TrueLine」。鉄道会社には,複雑な線(筋)を引いて運行ダイヤを作る“スジ屋”と呼ばれる人がいるが,これはまさに“スジ屋”のためのサービスだ。


 「TrueLine」が開発された2014年時点では,“スジ屋”の業務はまだ手書きが主流だった。しかし,紙とペンと定規を駆使して「線を引くこと」そのものが仕事の本質ではなく,「より良いダイヤを考えること」にもっと時間を使いたいというニーズが存在していた。


 それに応える形で生まれた「TrueLine」は,マウスのドラッグ&ドロップ操作で簡単に線を引くことができ,ダイヤにちょっとした変更を加えた場合には,その影響を受けたほかの線も自動で調整が行われる。これによって作業効率が大きく上がり,いろいろなダイヤがスピーディに検討できるようになった。


 もちろん“スジ屋”には線を引くこと以外の仕事もあり,「TrueLine」ではそれらも直感的に使えるデザインに落とし込まれている。運航ダイヤを決める前に必要な編成作成(輸送能力の決定)においては,車両編成の組み合わせを鉄道模型のようなUIで簡単に検討できるようにした。


 ダイヤを決めたあとに行う車両運用(ダイヤへの編成の割り当て)では,パズルのピースをはめていくようなUIを採用。このピースは前後に凹凸が付いた形になっており,効率的な車両運用ができた場合にはこれがピタッと合うようになっている。
 さらに,凹凸の形状に「切符の切り欠き」のモチーフを入れることで,鉄道が好きな人にとって愛着を持ってもらいやすいUIにする工夫も盛り込まれた。


 膨大な初期費用なしで使える「サブスク」であること(鉄道会社がうれしい),臨時ダイヤを迅速に作れること(鉄道を使う人がうれしい),それによって日本全体の交通の物流・人流を最適化していけるポテンシャルを秘めていること(社会がうれしい)。「TrueLine」は,東芝のデザインが目指す「うれしさの循環」をまさに体現したサービスであることが解説された。



「介護サービスの訪問調査」の現場を改善するUIデザイン


 2つめのデザイン事例として挙げられたのが,介護サービスの認定項目をチェックする調査員のための訪問調査システム「ALWAYS V」だ。


 日本の介護保険制度においては,自治体から派遣される調査員が介護サービスの必要度を確認する訪問調査を行っている。そこで分かった運動機能や認知機能の調査結果に,主治医からの意見書を加えて,自治体の審査会で「要介護認定」の度合いを決定するといった仕組みだ。


 こうした仕組みのなかで重要な訪問調査だが,74項目のチェックが必要で,1件あたりの持ち時間は約1時間程度に限られているという。さらに調査内容を紙に書き込むしかなく,その内容をあとからPCに打ち込む手間もある。ただでさえ人手不足という現場に過重労働を強いることになり,それが離職につながるという悪循環も生まれやすくなっている。


 そこで東芝では,実際の訪問調査員や調査を受けた当事者にインタビューを行い,その結果を社会的な課題と突き合わせることで製品コンセプトを決めている。結果,訪問調査の準備から提出までの作業は,1台の端末(タブレット)に集約化してデジタル化することが不可欠という結論に達したのだそうだ。


 こうして作り上げられた「ALWAYS V」について,井戸氏は具体的なデザインのポイントを3つに絞って説明する。

 1つめは「デジタルになっても手書きの良さは残したい」という点。訪問調査時には,入力項目とは別に書き残すようなちょっとしたメモが存在するが,それは決して捨ててはいけないノウハウの塊のようなものだ。「ALWAYS V」では,これを手書きのデータとしてデジタル保存できる仕組みが採用されている。


 2つめは前項とも重なる部分だが,「手書き入力とデジタル入力の切り替えのスムーズさ」にこだわったUIである。入力エラーの検出やマニュアルなどの検索参照性など,デジタルならではの強みも生かしつつ,直感的な手書き入力も常に行えるのがポイントだ。


 3つめは「公平性や正確さを確保するための機能」である。例を挙げると,運動機能の調査で「腕はどこまで上がりますか?」「こういう姿勢を取ってください」といった問いかけをする際に,具体的な角度などを示す画像コンテンツを表示したり,よく使う文章はあらかじめ定型文化しておき,それらを選ぶだけですぐに入力できたりする機能のことを指す。
 井戸氏はこの要素について,「調査員のスキルを,デジタルの力によって高めて平準化していくことを実現化したUI」であると説明した。


 訪問調査の質と効率性,正確性を高めること。介護サービスを受ける人の信頼感,安心感を醸成すること。自治体としては人手不足の解消,ノウハウの継承の役に立つこと。そして,それ自体が介護サービス全体の品質を担保し,結果的にはサービスの継続性に結びついていること。
 「ALWAYS V」もまた,「うれしさの循環」を追求したデザインを実現した製品だということがよく分かる。



ゲーム業界にも通じる「心を動かすUX提案力」とは


 ここまでの内容を踏まえたうえで,「これからのUIデザイナーに(もっと)必要なこと」として井戸氏が語った4つのポイントを要約して紹介しよう。

「ビジネスマインドの醸成」
 顧客の要求に寄り添うだけではなく,ビジネスの狙いや条件,技術的な条件をあらかじめ整理してから製品コンセプトを立てていく……というプロセスがUIデザイナーに求められている。


「アブダクションのちから」
 言い換えると,「“とんだアイデア”を出せる力」のこと。突きつけられたある実態・問題に対して,論理的思考を積み重ねて解決する以外に,思いつきレベルの仮説・アイデアをたくさん出して解決を目指すことも,新規性の高いアイデア創出には有効である。


「評価のスキルとリテラシー」
 出てきたアイデアが良いものなのかどうか,よりスピーディな検証が求められている。「デザインをする人」「それを評価する人」と分けて考えるのではなく,デザイナー本人が基本的な評価スキルをちゃんと磨くべきであるということだ。


「心を動かすUX提案力」
 BtoBの分野でも,ただ使いやすい,安全,エラーが少ない,というだけでは製品を選んでもらえなくなった。「何か面白いよね,楽しいよね」と思ってもらえるようなUXの提案が今後ますます重要になる。


 4つのポイントのうち,最後の「心を動かすUX提案力」の領域はゲーム業界に学ぶべきところかもしれない,と井戸氏は話す。CEDEC 2024では初日からさまざまなセッションに参加したことで,「プレイヤーに楽しんでほしい」「驚きや感動を与えられるような表現がしたい」というクリエイターの熱量の高さを強く感じたという。

 かつて,移動用の馬車と工業用の内燃機関が組み合わさることでエンジン自動車というイノベーションが生まれたように,革新的なアイデアは異質なもの同士の組み合わせから生まれる。井戸氏は,東芝のUIデザイン部門がCEDECに参加したのもそういった意味合いからとしたうえで,ゲーム業界の人にとって当講演が何らかの「エンカウント」のきっかけになったら嬉しいと語り,プレゼンテーションを終えた。


 「社会インフラ領域のUXとUIデザイン」というセッションタイトルから専門性の高さを想像していたが,こうして聴講してみると幅広い参加者に刺さりそうな内容だった。鉄道運行ダイヤ,要介護認定の訪問調査に関わる製品事例も「今,こういうことになっているのか」という実情をうかがい知れる貴重な資料の山だ。
 そして何より井戸氏の講演には,異業種にも「伝えたい」という情熱が感じられ,ぐいぐいと引き込まれるものがあった。狭義のデザイナーだけではなく,モノづくりに関わる人全般に響くセッションだったと思う。

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