――ビルさんは米トレジャーデータ創業者の芳川裕誠さんや太田一樹さん、米IPインフュージョン創業者の吉川欣也さんや石黒邦宏さんなど、日本人起業家にも投資してきました。よく日本には来られるのですか。
「初めて来日したのは(半導体製造の)米LSIロジックでプロダクトマーケティングの戦略担当をしていた1980年代です。当時設立したばかりのLSIの日本法人がトップとしてNECエレクトロニクス(現ルネサスエレクトロニクス)元社長の八幡恵介さんを招聘(しょうへい)していたことを印象深く覚えています」
「日本の大企業、しかもシニアエグゼクティブ(上級執行役員)が創業から3年しかたっていない米国のスタートアップに入社したのは、当時としても非常に珍しいケースでした」
「80年代は日本の経済が非常に好調だった時期です。半導体も最初はシリコンバレー発でしたが、その後は日本が市場をリードするようになっていきました。日立製作所やNEC、東芝などが台頭し、米国半導体メーカーのビジネスは完全に破壊されてしまうほどでした」
「次に日本によく訪れていたのは90年代中盤。ISP(インターネット接続事業者)のビジネスを始めたタイミングです。データセンターを台湾や香港、韓国などに立ち上げていた際、私は日本を見ていました」
「注目を集めていたのは、NTTドコモなどの通信事業者のネットワーク上でアプリケーションを提供する『iモード』のビジネスです。後に、モバイルアプリケーション販売を自社で仕組み化する際に米アップルや米グーグルが参考とした、販売者と購入者をつなぐマーケットプレイスモデルは当時の米国には存在しませんでした。世界にインパクトをもたらすようなイノベーションが日本から生まれていたのです」
「これと同じ時期、トランスメタという半導体チップの製造を手掛ける米国のスタートアップに投資家としてかかわり、創業から支援していました。Linuxカーネルの開発者であるリーナス・トーバルズ氏の採用も行いました。同社にはその後も継続出資し、密接にかかわることになります」
「トランスメタは米インテルに真っ向勝負を挑んだ会社で、インテルアーキテクチャーと互換性のある『クルーソー』というチップをつくっていました。彼らの一番の強みは圧倒的な省電力性で、バッテリーの持続時間や発熱の問題を大きく改善することができたのです」
「米IBMはノートPCのチップをインテル製からクルーソーに切り替えることにしました。しかし、当時インテル社長のアンディ・グローブ氏がIBMの本社に行ったとたん、クルーソーを採用する話が白紙になりました」
――性能ではクルーソーが優れていたのに、なぜでしょうか。
「恐らく危機感を覚えて待ったをかけたのでしょう。インテルのチップを採用すればパソコンの広告費をインテルも負担するというマーケティングキャンペーンが盛んになったのもこの頃です。『Intel Inside(インテル入ってる)』というステッカーやCMを覚えている方も多いでしょう」
「IBM以外のパソコンメーカーでトランスメタがデザインウィン(採用決定)しても、その後に全てキャンセルされるようになりました。インテルの影響があったと私は考えています」
「Intel is big. Sony is bigger.」
「この頃、日本メーカーではソニー(現ソニーグループ)がクルーソーの採用を決めていました。この状況を踏まえて私は出井さん(ソニー元最高経営責任者の故出井伸之氏)に『もしかするとインテルがソニー向けのビジネスを全て止めるかもしれないが、大丈夫か』と聞いたことがあります」
「すると出井さんは少しだけ黙った後に、ゆっくりしたトーンで口を開きました。『Yes, Intel is big. Sony is bigger (確かにインテルのブランドは大きい。だが、ソニーはそれ以上だ)』。本当に格好良かったですね。そうして(ノートPCのバイオに)クルーソーが採用されることになりました」
――そんな開発秘話があったのですね。
「そう、彼はアメイジングな人でした(笑)」
――日本を含めて半導体産業に長く携わる中で、エンジェル投資家としては何を見ていましたか。
「まずはマーケットが重要です。既にある大きなマーケットの構造が変わるタイミングで、新しい技術を持った小さな企業が参入する余地があるかどうか。構造的な変化に対して『触媒』になれるような人やチームに投資することが大切です」
「半導体チップから始まり、インターネット、アプリケーションが生まれる流れの中で次に必要とされたのがデータサイエンスの技術でした。分析しづらい非構造化データも多くある状況で登場したのが、グーグルや米ヤフーといった先端企業のデータ基盤を参考にした、ビッグデータ解析技術のオープンソース実装であるHadoop(ハドゥープ)です」
「投資先企業が個別にハドゥープで取り組んでいたものを、コミュニティーの中心でやろうとしていたのがトレジャーデータでした。大手の競合もいましたが、マーケットの変化を素早く捉えられる点でスタートアップに分がありました」
――ビルさんは日米のスタートアップに投資するカーバイド・ベンチャーズ・マネジメントの特別パートナーでもあります。日本の状況をどう見ていますか。
「ある市場でビジネスを成功させるには、3つの基本的条件があります。(その国の)高い教育レベルとインテグリティ(誠実さ)、仕事そのもののクオリティーです。この3つが全てあるマーケットというのは、実は世界でも限られます」
「日本の起業家に足りないのはコンフィデンス(自信)です。『自分もやってみよう』という意識を持っている人があまり多くありません。米国ではスティーブ・ジョブズ氏やビル・ゲイツ氏が出てきた際、その背中を追った起業家が多くいました」
「日本にもアスキーの西和彦氏、ソフトバンクの孫正義氏などの有力な起業家は生まれましたが、彼らの次を目指した人たちが大勢いるわけではありません」
起業家を見定める3つの軸
――スタートアップに出資する際、起業家のどんな資質を重視しますか。
「結婚相手を見つけるのと同じです(笑)。投資候補として私が見ているスタートアップは起業して間もない段階です。Zoomやトレジャーデータは言うに及ばず、Canvaやトランスメタもそうでした。私の投資自体は単に最初の行為であって、その後にほかの投資家を連れてきて、コミュニティーやチームをつくります」
「取締役として最低でも10年から15年は付き合う必要があります。今日信じて、明日も明後日も信じて、10年後、20年後もその人を信じられるかというのが一番大事なところです。スタートアップの経営は想定外のことが数多く起きます。そんな中でも一緒に働けるかどうか」
「起業家を見る軸としては3つあります。1つが誠実さ。もう1つがどのように意思決定をしているか。最後は長期的な価値観を持っていてそれがブレないかどうかです」
「とにかく長く付き合わなければならない中で、例えばその人の意思決定に不安があれば、いずれ一緒に働くことはできなくなります。実は嘘つきで誠実さに欠ける人物だったということもありました」
――カーバイド・ベンチャーズではどのような企業に出資していますか。
「世界中にマーケットが存在する分野を重点的に投資しています。例えばコンピューターのインフラ、ネットワーク、アプリケーションなどの分野です。カーバイド・ベンチャーズには米国でのプレゼンスや深いネットワークもあり、日本の起業家が世界に出ていく際にいつでもアクセスできる窓口になっています。投資を行うパートナーは皆、実業経営の経験が豊富で、日本企業や日本人気質も深く理解しています」
「日本経済の強みは、やはり製造業を中心とした技術、製品開発のクオリティーです。カーバイドが『触媒』となって日本のスタートアップと大企業、グローバルマーケットの橋渡し役になれると考えています」
「米中対立によって、例えば米アップルがiPhone(アイフォーン)の製造の一部を中国からインドにシフトする動きも見せました。日本の大企業が製造業の強みをもう一度発揮するために、スタートアップとつながる努力をすることは重要なことだと思っています」
「日本は世界的なブレークスルーを定期的に生む国です。いきなりドミナント(支配的)なプロダクトを出してくる。ゲームやハイブリッド車もそうでした。アニメや和食などの文化コンテンツも、世界中の消費者の心をつかんでいます。このように、AI(人工知能)分野での未知のイノベーションが突如日本から出てくる可能性も十分にあります」
「日本は高齢化社会に突入していますが、マーケットオポチュニティー(市場機会)があるとも言えます。日本社会が抱えている問題を日本の起業家が解決できれば、その経験を世界に持っていくことができます。世界中の先進国が高齢化社会を迎えることは間違いないのですから」
(日経ビジネス電子版編集長 原隆、日経ビジネス 朝香湧)
[日経ビジネス電子版 2024年11月12日の記事を再構成]
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