アシックスのV字回復が著しい。2018年12月期には最終赤字、2020年12月期には営業赤字を計上するほど業績が低迷した。そこから経営改革を進め、2024年12月期の営業利益は950億円の見通しで、3期連続の最高益更新を見込む。

同社の広田康人会長兼最高経営責任者(CEO)が社長に就任した18年は厳しい経営状況で、売れ残り品の在庫が積み上がっていた。経営会議では本社と販売会社が責任を押し付け合い、権限と責任の所在があいまいだった。

日本企業がグローバル展開していく際に、現地の販社に権限をもたせることが多く、経営の遠心力が強くなるケースは多い。広田氏はこの構造にメスを入れ、権限と責任の所在を明確する組織改革を断行した。その組織改革の舞台裏を聞く。
広田康人(ひろた・やすひと)アシックス代表取締役会長兼最高経営責任者(CEO)。1956年生まれ、名古屋市出身。80年に早稲田大学政治経済学部卒業後、三菱商事入社。2014年代表取締役兼常務執行役員コーポレート担当役員。17年関西支社長を兼務後、18年にアシックス入社。同年3月に社長に就任し、24年1月から現職。フルマラソンの自己ベストは61歳で記録した3時間53分。(写真=的野弘路)

今夏はフランス・パリを訪れ、パリ五輪で選手や社員の激励、商談などをしてきました。300人を超える当社のサポート選手が様々な競技で活躍し、感動の場面に何度も立ち会うことができました。

男子マラソンではアシックスのシューズを履いたバシル・アブディ選手が銀メダルを獲得。日本代表選手が8個もの金メダルを獲得したレスリングでは、ほとんどの選手が私たちのシューズを着用していました。こうした選手たちを支えられたのは、うれしい限りです。

業績は増収増益が続いています。2024年12月期は主要事業が好調で、売上高と各段階利益が過去最高になる見通し。最高益更新は3期連続になります。24〜26年の中期経営計画の利益目標を、1年目で達成できそうなので、株主還元も進めています。

株価も右肩上がりです。当社は1972年に上場しましたが、2023年8月には初めて時価総額が1兆円を超え、それから1年たたない24年7月には2兆円を突破しました。株価は非常に安かった時期がありましたので、株を持ち続けたOBに会うと非常に喜ばれますね。

「20年度に比べて24年度は売上高が2倍になりますね」と褒めてくれる方もいますが、苦労しながらへこたれながら経営を続けてきたのが実情です。企業やその状況によって、必要な戦略や戦術も異なるでしょう。今回はご参考になるか分かりませんが、アシックスの経営を振り返りながら今後の展望をお伝えします。

(写真=永川智子)

私は三菱商事の関西支社長を務めていた際に、当時アシックス社長だった尾山基さん(現シニアアドバイザー)と縁があり、「経営をやらないか」と誘ってもらいました。アシックス入社が18年1月で、同年3月から社長を務めることになりました。

当時は厳しい経営状況にありました。18年12月期には大きな減損を計上し、最終赤字に転落しました。今のうちに減損しておけば、将来はよくなるという理屈がありましたが、そこまで収益改善に自信を持っていなかったというのが本音です。正直、あの時は苦しかったです。その後、新型コロナウイルスの感染拡大で経済活動が停滞したこともあり、20年12月期には営業赤字に転落しました。

アスレジャーの悲劇

低迷の原因はいくつかありました。一つは、商品領域を広げ過ぎたことです。普段着に用いるスポーツウエアとして「アスレジャー」というジャンルがあり、15年ごろから販売に力を入れていました。大量に製造し、特に米国に向けて出荷しましたが、あまり売れずに大量の在庫が積み上がってしまい、その返品で営業利益を傷めました。

アスレジャーはアパレルが重要なのですが、当社にはアパレルの知見も経験もそれほど豊富ではありません。そこに力を入れるのは、戦略がぶれていたのです。当社では「アスレジャーの悲劇」と呼び、語り継いでいます。

アシックスはランニングシューズで成長してきたので、人材はそろっています。まずは強いところに集中し、競技用ランニングシューズを戦う領域として定めました。

会社を変える上で、始めたことが2つあります。一つは社員との「接地面積」を広げることです。経営や私のことを知ってもらうことが重要だと考え、社長就任と同時にブログを始めました。いいことも悪いことも包み隠さず書き、社員からの返信もあり、コミュニケーションを深めました。

本社と販売会社の言い合い

もう一つは、経営の中で適切な仕組みを構築して、それをきちんと回していくことです。以前も仕組みはありましたが、さらにカチッとした仕組みを取り入れました。

その代表例が、カテゴリー制の導入です。それまでアシックスは海外の販売会社に販売を任せて、売り上げを伸ばしていました。そのため、販売会社の権限が非常に強く、遠心力が働いている部分がありました。

うまくいかない時は、経営会議で本社側が「いいモノを作っても売れないのは販売会社のせいだ」と言い、販売会社は「もっといいモノを作ってもらわないと売れない。本社の方針はコロコロ変わる」と言い合っていたのです。

従来の経営計画は、地域の数字の積み上げでしたから、それをプラスする・しないということに力を入れてきました。ただ、その決定にあまり根拠がなかった。

こうした状況に強い問題意識を持っていました。カテゴリーが商品開発や販売、マーケティングを含むすべての権限と責任を持つ体制に改めたのです。カテゴリーはパフォーマンスランニング、コアパフォーマンススポーツ、スポーツスタイル、アパレル・エクィップメント、それからオニツカタイガーの5つです。

「いつまで続けるのですか」という抗議も

この経営改革は荒療治でした。カテゴリー制は販売会社の権限を剥奪する部分があります。販売会社が勝手に決めてはいけない、本社側の了解を取りなさいという体制に変更したのです。結果として、当時の主要な販売会社の経営陣は退社することになりました。

最初はかなり大変で、いろいろな人から文句を言われました。ある役員からは「いつまでカテゴリー制を続けるのですか」という抗議を受けました。本社側はこれまで、いい商品を作っていればよかったのですが、全世界の利益について責任を持たないといけません。

シューズの開発では2年先を見ていたのですが、今年の実績を上げなくてはいけなくなりました。カテゴリーの責任者が一番苦労したのは、この時間軸の変化だったのではないでしょうか。

1年を上期と下期で大別し、それぞれの計画をマニフェストと呼び、節目でマニフェスト会議を実施しました。我々は12月期が通期決算ですので、12月に翌年度の計画・目標設定の議論をします。そこで立てた目標を実行し、6月にレビューした上で下期にやるべきことを決めます。

下期にそれを動かして、また翌年度の計画を練る。従来はPDCA(計画・実行・評価・改善)の回し方にバラツキがありましたが、しっかり回すようにしたのは、非常に効果的だったと思います。

最初は戸惑っていたカテゴリーのトップたちも、徐々にコツをつかんできました。利益を増やすために何をしたらいいかを考えて手を打ち、その成果が上がるといういいサイクルが生まれるようになったのです。

こうしたことが20年ぐらいから定着して、反転攻勢が始まりました。新型コロナウイルスの感染拡大の際には、その強みが一気に出ました。危機対応というような状況で、本社と販売会社が密接に連携して、動くことができた。カテゴリー制の神髄は、本社と販売会社の距離を縮めることなのです。

カテゴリーごとに戦略部をつくり、そこに5〜6人の若い社員たちが入って、マーケティングや海外との調整などの経験を重ねました。こうしたことを続けてきた日本のカテゴリーのトップは、6年間でほとんど交代していません。(談)

(日経ビジネス 大西孝弘)

[日経ビジネス電子版 2024年10月31日の記事を再構成]

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