イベルドローラが建設した水素生産工場

スペインの首都マドリードから電車で南へ1時間半。プエルトリャノという内陸都市に着くと、巨大な石油化学コンビナートが眼前に迫ってきた。

石化コンビナートの一角にはスペインの肥料大手フェルティベリアが運営する肥料用アンモニア工場。さらに奥に進むと、真新しい設備が並ぶ工場が見えてくる。スペインの電力大手イベルドローラの水素生産工場だ。

この工場は2022年に建設された。投資額は1億5000万ユーロ(約240億円)。近隣に設置した太陽光発電所から電気を調達し、水の電気分解によって年3000トン程度の水素を生み出している。つまり「グリーン水素」だ。

こうしてできた水素は、隣接するフェルティベリアの工場に供給し、窒素と結合してアンモニアをつくる。従来は化石燃料由来の水素だけを使っていたが、1割程度をグリーン水素に切り替えた。例えば、グリーン水素由来の肥料を使ってビールの原料である大麦を作れば、サプライチェーン(供給網)全体の脱炭素化が進む。イベルドローラは段階的にグリーン水素の生産量を増やす方針だ。

イベルドローラはスペインや英国、ドイツなどの欧州だけではなく北米や南米、オーストラリアといった世界8カ国で60件超の水素プロジェクトに関わる。25年までに年3万5000トン、30年までに年35万トンものグリーン水素を生産する壮大な構想を描く。

グリーン水素で強気の戦略を打ち出す背景には、40ギガワットという世界最大級の再生エネの発電容量がある。00年ごろ化石燃料による発電から再生エネへのシフトをいち早く始めたことが奏功している。当初は不安視する声もあったが、収益を上げていくと波に乗り、今や欧州では確固たる地位を確立した。

欧州連合(EU)では今、さまざまな水素生産プロジェクトが進む。ロシアのウクライナ侵攻によって安価な天然ガスを輸入できなくなり、エネルギー戦略の転換を迫られたEUにとって水素はロシアに頼らないエネルギー資源の調達という意味でも重要性が高い。

イベルドローラのように再生エネに熱心な企業だけではなく、石油メジャーも動いている。英シェルはオランダ・ロッテルダムにグリーン水素の工場を建設している。25年に稼働し、近隣の洋上風力発電所からの電気を用い、1日当たり最大60トンのグリーン水素を生産する予定だ。ロッテルダムは欧州における水素の生産や運搬のハブとなっており、英BPも巨額投資でグリーン水素の生産に乗り出している。

欧州委員会は早くからグリーン水素の普及と産業の確立を目指してきた。22年5月にエネルギー戦略「リパワーEU」計画を策定。EUの域内生産と域外からの輸入を合わせ、30年までに年2000万トンのグリーン水素を供給する目標を掲げた。EUや各国政府からの補助金に加え、グリーン水素を生産する企業に奨励金を拠出する「欧州水素銀行」も立ち上げた。

各国で再生エネの生産適地や水素の需要にばらつきがあり、相互に補完し合おうとしている。EU最大の経済大国であるドイツでは膨大な水素需要が見込めるのに再生エネの生産量が少ない。一方、再生エネの生産量が多いスペインでは水素の需要よりも生産の方が上回る可能性が高い。そこでスペインは水素を陸上や海上経由でドイツなどに供給する「グリーン水素回廊」の構築計画を進めている。

水素のプロジェクト数は最多

グローバル企業でつくる水素協議会などによると、欧州における30年までのグリーン水素などのプロジェクト数は540件。主要市場の中で突出し、計画生産量も世界最多になる見通しだ。また世界の水素生産プロジェクトへの投資額は総額5700億ドル(約84兆円)になり、欧州は1930億ドルで3割以上を占める。一方、自国内のプロジェクトが少ない日本と韓国は合わせて40億ドルにとどまり、1%にも満たない。

将来のプロジェクトだけでなく、足元でもグリーン水素の生産が進むのが欧州の特徴だ。水素ビジネスで頭角を現す欧州企業も少なくない。その代表例が水素生産の心臓部である水電解装置で世界大手のノルウェー・ネルだ。伊藤忠商事が提携している。

ネルの創業は1927年。肥料用アンモニアの原料となる水素をつくるために、水力発電由来の電気によって水を電解する装置を開発・生産していた。現在、水電解装置には主に「アルカリ型」と「固体高分子膜(PEM)型」の2種類があるが、その両方を供給。さらに水素ステーションの建設も手掛ける。冒頭に紹介したイベルドローラの水素生産工場でもネル製の水電解装置16機が使われている。

水素需要の高まりで水電解装置の販売は好調だ。23年1〜9月期売上高は前年同期比で約2倍の12億3900万クローネ(約170億円)と急増。EBITDA(利払い・税引き・償却前利益)は3億6700万クローネの赤字だが、シャル・クリスチャン・ビョルンセン最高財務責任者(CFO)は「先行投資がかさんでいるが、黒字化に向けて急速に進んでいる」と明言する。

ネルが製造する水電解装置は、欧州各地の水素生産工場で使われている(写真=ネル提供)

実際、23年9月末時点で28億クローネの受注残がある。ノルウェー南部の工場はフル稼働が続く。かつては手作業の多い生産だったが、受注の増加を受けて生産設備を刷新。ほとんどの工程を自動化しており、生産台数を増やすと同時にコストを引き下げている。

最近は米国事業にも注力。米政府はインフレ抑制法(IRA)で水素産業を支援しており、ネルは23年、米ミシガン州のデトロイト近郊に世界最大の水電解装置の工場を建設すると発表した。米ゼネラル・モーターズ(GM)とも提携し、同社の燃料電池の技術を取り込んで次世代の水電解装置を開発する。

欧州、世界標準奪取に動くか

他の大手メーカーも水電解装置の開発と販売に力を入れており、競争が激しくなっている。風力発電機大手の独シーメンス・エナジーは23年、産業ガス世界大手の仏エア・リキードと共同で独ベルリンにPEMの量産工場を建設した。当初の生産能力は年1ギガワット分で、25年には年3ギガワット分まで引き上げる。製造したPEMはエア・リキードのグリーン水素生産工場で使う予定だ。

水素タンク世界大手であるノルウェー・ヘキサゴンプルスも業容を急拡大している。半導体や食品、医療品など工場でグリーン水素の需要が急増し、それを運搬するために水素タンクの需要が伸びているという。この1年間、同社は世界で4つの工場を立ち上げて需要増に対応している。

ヘキサゴンプルスは水素タンクを収納したコンテナも生産する(写真=ヘキサゴンプルス提供)

EUが掲げる30年時点で2000万トンのグリーン水素を供給するという目標は、水素の色にかかわらず300万トンという日本の目標と比べてかなり野心的だ。達成のためには多大な公的資金が必要になり、資金調達の面などから懐疑的な声は多い。

ただ、壮大な目標を掲げて達成できなくても大きな市場をつくり出し、先行者の立場を生かしてグローバルスタンダードやデファクトスタンダード(事実上の標準)をものにしていくのが欧州のやり方といえる。

こうした欧州の動きに敏感なのが日本の商社だ。ネルと提携する伊藤忠はエア・リキードとも水素分野で手を組むほか、23年12月には水素生産世界大手のデンマーク・エバーフュエルへの出資を発表した。ヘキサゴンプルスを支える三井物産はグリーン水素をつくる商業プラントを稼働する仏ライフにも出資。三菱商事は子会社の再生エネ大手、オランダ・エネコと大規模なグリーン水素の生産に乗り出す。

欧州には高い目標で民間投資を呼び込み、水素産業の集積により雇用を創出する狙いもある。日本は脱炭素やエネルギー安全保障だけではなく、産業集積や雇用創出の機会にも目を向けて投資を呼び込まなければ、せっかくの技術が宝の持ち腐れになってしまう。

(日経BPロンドン支局 大西孝弘)

[日経ビジネス電子版 2024年2月21日の記事を再構成]

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