1986年のウクライナ(旧ソ連)チェルノブイリ原発事故で被災した隣国ベラルーシの当時の子どもたちが描いた絵を、東京都足立区の梨本賢治さん、恵子さん夫妻=いずれも(73)=が、被災地への支援を続ける名古屋市中区のNPO法人に寄贈した。両国はロシア侵攻で敵対関係にあり、夫妻は「原発事故でも戦争でも子どもたちが犠牲になるという現実を、絵で伝えたい」と願う。(大野孝志)

ベラルーシの子どもたちの絵と梨本さん夫妻=東京都足立区で

 チェルノブイリ原発事故 ソ連時代の1986年4月26日未明、ウクライナ北部のチェルノブイリ原発4号機が試験運転中に爆発。隣接するベラルーシやロシアなど広範囲が放射能に汚染され、汚染物質の7割がベラルーシに降り注いだ。事故の国際評価尺度は東京電力福島第1原発事故と並ぶ最悪のレベル7。運転に関わる人的ミスと原発の構造的欠陥が重なったとされる。1〜3号機は2000年までに閉鎖。数十人が急性放射線障害で死亡、数十万人が移住を強いられた。収束作業には80万人が参加。放射線の影響による犠牲者は数千〜数十万人と諸説ある。

◆ベラルーシの7~14歳が描いた自画像など15点

保養で東京都内などを訪れ、地元の子らと交流するベラルーシの子どもたち。1996年ごろの撮影とみられる=梨本さん夫妻提供

 絵は放射能に汚染されたベラルーシ・ゴメリ州に住んでいた、当時7~14歳の男女の15点。事故から数年のうちに描かれたとみられる。壊れた原発に空中から放水する様子や住民を強制的に避難させる兵士、街や森に降る「黒い雨」、病気の痛みに苦しむ自画像などをA2~3判の水彩画やペン画で表現した。「黒い雨が降ってきた」「全てが破壊された悲しみ」といった短文とともに、パネルに納まっている。  夫妻が絵を手にしたのは28年前。資源ごみのリサイクル活動の一環で「核のごみ」を出す原発問題に関心を持ち、ゴメリの子らを被ばくから少しでも遠ざけようと96~2005年、計20人を保養のため自宅などへ招いた。その際、当時都内にあった市民グループ代表の吉沢弘志さん(70)=千葉県船橋市=を通じ、絵を入手した。これを巡回展示するなどして、渡航費用など保養の資金集めに活用した。

◆2011年を最後に展示の機会なく

 その後、保養は資金難や原発問題への意識の低下などで先細りに。絵は足立区内を中心に何度か展示し、東京電力福島第1原発事故が起きた11年の展示を最後に段ボール箱に入れられ、夫妻宅の物置での保管が続いた。  夫妻は今年2~3月に東京新聞本社(千代田区)で開催した、チェルノブイリ、福島の両事故被災地の情景を伝える写真作品展「未来への道~ウクライナと福島の記憶」を訪れた。会場で本紙記者に「うちにベラルーシの子たちの絵がある。自分たちも高齢になり、このまま家に置いていても埋もれるだけ。活用できないか」と相談した。記者が名古屋市のNPO法人チェルノブイリ救援・中部(チェル救)を紹介し、無償譲渡が決まった。

絵を受け取ったチェルノブイリ救援・中部の河田昌東理事(左)と山盛事務局長=名古屋市中区で

◆「侵攻後のウクライナの子の絵と雰囲気似る」

 チェルノブイリ事故から38年となる26日を前に、絵はチェル救に届いた。チェル救はロシア侵攻後、ウクライナの子どもたちの絵を集め、日本国内各地で展示している。事務局長の山盛三千枝さん(71)は「ベラルーシの絵には心情が強烈に表現されている。ウクライナの子の絵と雰囲気が似ており、戦争と原発事故で同じような恐怖を感じたのではないか」と語る。
 譲渡された絵は今後、ウクライナの子どもたちの絵と一緒に展示していく予定。梨本さん夫妻は「後世に実態を残すことができる」と安堵(あんど)している。  

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