農耕儀礼「あえのこと」 石川県の奥能登地域に伝わる農耕儀礼。収穫に感謝し、五穀豊穣(ほうじょう)を祈る。稲作を守る「田の神様」を12月5日に自宅に迎え、年が明けた2月9日に田へ送り出す。風呂に案内したり、米や海の幸、ダイコンや甘酒などのごちそうを用意したりする。1976(昭和51)年に国の重要無形民俗文化財に指定され、2009年にユネスコの無形文化遺産に登録された。11年には、あえのことを含む「能登の里山里海」が世界農業遺産に認定された。
◆能登半島地震によるダメージは「不明」
田の神様に食事を勧める中正道さん=石川県能登町で
「能登の魅力の一つ」「地域に暮らす人々の絆」。石川県が3月下旬に示した復興プランの骨子案は、あえのことを含む祭りや風習をそう位置付け、被害状況を調べて修復や再建を支援する、とした。だが、県の担当者は、あえのことの被害状況について「特に把握していない」と話す。文化庁の担当者も「必要な支援に取り組む」としつつ、被害状況や要望は「関係者からうかがう」と話すにとどまる。 地震の発生から4カ月近く経過しても被害状況が見えてこない背景にあるのは担い手の激減だ。 儀礼を営む農家らでつくる「奥能登のあえのこと保存会」の1977年の調査では、285戸が儀礼の内容を省略せずに実施、3126戸が一部省略して実施した。会員は217人いたが、高齢化と過疎、離農で減り、保存会自体が形骸化。現在の会員数は不明という。保存会関係者は「近年は活動らしい活動ができていない」とこぼす。◆儀式を続けていることを明かしていない場合も
各自治体などによると、地震前、珠洲市、輪島市、穴水町では各1戸の実施を確認。能登町は数戸以上あるとみられるが、正確には分からない。メディアの取材などを嫌い、活動を伏せている家もあるという。本来は各家庭で細かな差異があり、多様性に富んでいたが、記録がないまま途絶えたり、内容が変質したりした家もある。 被害状況を把握する以前の課題として、能登町の担当者は「あえのことは個人の行事。観光や産業ではないから支援は難しい。自発的な行事を『支援するから継続して』というのも本末転倒では」と話す。 農林水産省の統計「農林業センサス」によると、奥能登地域の農業経営体(個人・団体の合計)は2010年に3787だったが、20年は1908とほぼ半減している。石川県の23日現在の集計では、奥能登4市町の農地、農道、水路の被害は計3194件に上る。◆今なら記憶を記録に残せる
国立歴史民俗博物館の松尾恒一教授(民俗学)の話 あえのことは稲作と結びついた日本文化としての普遍性がある。食器に輪島塗を使うなど能登半島ならではの独自性を持ち、供える料理や野菜に地元の暮らしが表れている。研究する余地があり、今なら過去に家で行った人の記憶を記録に残せるはず。気づいたら失われていたとならないよう、行政サイドは意識して対応してほしい。 鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。