県民の4人に1人が命を落とした沖縄戦で旧日本軍が首里城の地下に造った第32軍司令部壕は、住民の犠牲の拡大につながる重要な決定が下された場所で、5つの出入り口があるおよそ1キロの坑道に牛島満司令官をはじめ1000人以上がいたと考えられています。
県は、極めて重要な戦争遺跡だとして、令和7年度に出入り口の1つである「第5坑口」の公開を目指していましたが、落石をはじめ安全性の確保などに時間がかかっていて、正式な公開が令和12年度にずれ込む可能性があることが関係者への取材でわかりました。
令和8年度に、火災による焼失から復元される予定の首里城正殿と同時期に、「第5坑口」の周辺の通路と別の入り口の「第1坑口」の公開を目指すということです。
司令部壕の一部は、11月29日に戦争遺跡として初めて県の史跡に指定されていて、玉城知事は「来年は戦後80年の節目にあたり、指定は非常に有意義な方向性につながる」と述べています。
県は、12月にも基本計画の素案と保存や公開に関するスケジュール案を示すことにしています。
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