南九州市の知覧町には太平洋戦争の末期、陸軍の特攻基地が置かれ、多くの若者が特攻隊員として出撃し、439人が命を落としました。
基地の跡に建てられた「知覧特攻平和観音堂」では毎年5月3日に慰霊祭が行われていて、ことしは全国から遺族などおよそ630人が参列しました。
式典では特攻隊長として知覧から出撃して亡くなった桂正大尉の弟で、石川県の桂撤男さん(85)が遺族の代表としてあいさつに立ち「戦後79年がたとうとしていて、残された家族や関係者も高齢化しています。私たち遺族は特攻隊の尊い犠牲があったことを忘れず、命の尊さを語り継いでいくことを誓います」と述べました。
そして参列した人たちが献花台に花を手向けて祈りをささげ、平和への誓いを新たにしていました。
特攻で当時19歳だった叔父を亡くしたという徳島県の78歳の女性は「叔父の顔は直接は知らないのですが、最後に送られてきた手紙を読むと涙が出ます。戦死された方々の思いを絶対に忘れてはいけないと思います」と話していました。
また叔父を亡くし、毎年慰霊祭に参列しているという東京都の76歳の女性は「帰ることのできない機体に乗って出撃したことを思うと本当に悲しく、ことばに表せない気持ちです。平和が続いてほしいです」と話していました。
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