地震で被災した能登半島ゆかりの著名人からのメッセージを随時掲載します。今回は能登半島と同じく富山湾に面した富山県射水市(旧新湊市)生まれの落語家、立川志の輔さんです。   ◇

◆北陸は「いいところ」だけど冬は厳しい…被災の過酷さ胸に迫る

 富山にいたのは18歳までですが、毎年冬に帰って大雪に遭遇すると、北陸は「いいところだな」と言っているだけで暮らせる所じゃないな、と思うんですよ。その厳しさも知っているが故に、この冬の能登の映像を見ると、被災地の大変さを思って落ち込んでしまいました。

立川志の輔さん

 それでも「食堂が地元のために再開した」とか、立ち上がろうとしている方々のニュースが増えてきた。まだ、ないまぜな気持ちではありますが、本当にうれしいです。  1月は私も、ただただ悲しみに暮れていました。東京・渋谷での1カ月公演中。毎回会場の皆さんに被災地への応援の拍手を送ってもらってから落語会を始めるというのが、私ができる精いっぱいのことでした。お役に立てず申し訳ないとイライラ感が募ってくるような毎日で。まあ、無力ですな、ほんとに。  落語家の自分がやれることが、笑っていただく、元気を出してもらうことだとしたら…それはやっぱりある程度、衣食住がそろわないと人は笑うゆとりがありません。一日も早く能登の皆さんの笑い声を聞きたいと思っても、そんな場合じゃないという現実がある。

◆「能登へ行って落語をやる」

 東日本大震災の被災地での落語会を始めて12年くらいになりますが、そのときも正直最初は、開口一番に何をしゃべっていいのか分かりませんでした。  今はまずラジオの番組で、避難所で聞いていらっしゃっても心が安らぐような放送を目指しています。もちろん一番やりたいことは、能登へ行って落語をやることです。皆さんが喜んでもらえるタイミングを待っています。  私の気持ちの支度はもうできています。それこそ、柴田理恵ちゃんや室井滋ちゃんら富山出身の仲間とも情報交換して皆でスタンバイしています。落語家たちもみんな、被災地の方向を向いていると思いますよ。  富山市の演芸ホール「てるてる亭」も壁がはがれ落ち、お正月と2月の定期公演がなくなったんですが、当たり前のように、予定通りできるのは本当にありがたいことなんだなと感じます。そう思って、ひとつひとつの落語会をやっていきたい。  小さなホールか、公民館か。とにかくそこに集まっていただいて、能登でも開催できる日が来ることを願っています。

 立川志の輔(たてかわ・しのすけ) 1954年、富山県射水市(旧新湊市)生まれ。1983年に立川談志さんに入門、1990年に真打ち。全国各地で公演を開き、テレビでも活躍してきた。ラジオは「志の輔&雷鳥の なんでか?ニッポン」などに出演中。東日本大震災の復興支援の落語会は2012年、コピーライター糸井重里さんとともに始めた。



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