日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の四国地区代表理事として、12月にノルウェー・オスロで開かれるノーベル平和賞の授賞式に参加する松山市の松浦秀人さん(78)を送る集いが23日、同市内で開かれた。松浦さんは核兵器使用が危惧される国際情勢に葛藤しながらも「命ある限り、核なき世界を訴え続ける」と話す。
松浦さんの母は妊娠7カ月の時に広島で被爆した。松浦さんは、母が愛媛県の実家へ避難し、自身を出産したという話は聞いていたが、核兵器の恐ろしさを知ったのは大学生の頃。原爆の影響をわが身のこととして考えるようになった。
自分の子どもにも何か影響するのではないかと漠然とした不安もあり、第1子が無事生まれた時はほっとしたという。30代で胎内被爆者として原爆手帳の交付を受けた後、体験談の編集や原爆症の認定訴訟の支援に携わってきた。
会社を定年退職する頃、周囲では高齢化で証言できる人が減っていた。「直接体験していない自分に話す資格はあるのか」と負い目も感じたが「一人でも多くの人に核の恐ろしさを知ってほしい」と思い、母や知人の体験を話すようになった。
ノーベル平和賞の授与には「本来は『核兵器は使ってはならない』というタブーを確立してきた先人にもらってほしかった。パレスチナ自治区ガザなどの情勢を見ると、明日にも核が使われる恐れがあり、心底喜ぶことはできない」と複雑な思いを抱える。
「それでもなお、先人の遺志を受け継いでいくのが自分の役割」と松浦さん。被団協の存在感が増したことを追い風に、日本の核兵器禁止条約への批准やオブザーバー参加につながるよう訴えを加速させたい考えだ。
集いには、知人ら約50人が参加。愛媛県原爆被害者の会会長の岡本教義さん(94)は「核の廃絶運動がいかに大切かを一生懸命PRしてきてほしい」と激励した。〔共同〕
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