親元で暮らせない子どもを受け入れ、養育する里親家庭が、能登半島地震や能登豪雨の被災地にある。石川県珠洲(すず)市上戸町の石橋雄一郎さん(58)、淑子(よしこ)さん(60)夫妻。地震当時に一緒に暮らしていた10代後半の里子2人は一時的に市外で避難生活を送ったが、「ここにいたい」と戻ってきた。石橋さんは自宅でボランティアセンターを運営して復旧作業を支えながら、2人の成長を見守っている。(奥田哲平)

◆自宅に「ボランティア拠点」開設

 里親の日だった10月4日に訪れると、お昼時になった石橋さん宅にボランティア活動に従事した支援者が戻ってきた。淑子さんらがサンドイッチをふるまい、労をねぎらう。玄関や廊下には飲料水などの支援物資が積まれている。

ボランティア拠点として復旧作業を支える石橋雄一郎さん、淑子さん夫妻=石川県珠洲市上戸町で

 1月5日に初めて支援物資を受け入れて以来、天理教分教会を兼ねる自宅にボランティア拠点「珠洲ひのきしんセンター」の事務局を設け、全国各地から延べ9000人を受け入れた。ピーク時は20人ほどが寝泊まりしたという。「被災者から感謝されることで支援者も笑顔になる。うちはリピーターが多い」と話す。  そんな石橋さん夫妻が里親登録したのは、金沢市に住んでいた2002年。市内の病院前に乳児が置き去りにされた事件がきっかけだった。5人の実子の末っ子である次男が誕生したばかりで「ちょうど母乳が出るから、一緒に育てられないか」(淑子さん)と申し出た。その乳児は育てられなかったが、珠洲市に転居後の2011年に6歳だった男児、2018年に11歳の女児を受け入れて長期で育ててきた。  「特別なことは何もしていない。泣いたり怒ったり、笑ったりする普通の家族をしただけ」と振り返る石橋さんだが、しいて言うなら「物事を肯定するような、『○○のおかげで』という会話を心がけていた」という。一緒に食卓を囲み、年長の実子たちと過ごすことで、里子は自然と笑顔が増えた。

◆今も家財の運び出しや泥出しのSOSが寄せられる

 地震直後から断水が続く中で、高校1年になった女児は帰省中の親元で過ごしていたが、2月に「学校に行きたい」と里親宅に戻った。男児は6月に20歳を迎えて里親委託措置が終了したが、石橋さん宅での生活を望み、珠洲市内で働きながら一緒に生活を続けている。  石橋さん宅は周辺が先月の記録的な大雨で冠水し、倉庫にあった冷凍庫や一部の支援物資が水に漬かった。地震や浸水被害を受けた市民からは、今も家財の運び出しや泥出しのSOSが寄せられる。里子2人も荷物運びなどを手伝うことも。石橋さんは「ボランティアが里子をかわいがってくれ、自然と顔なじみになった。困っている人を助ける姿を見るのは、2人にとってもいい経験になる」と話している。 

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