水俣病は1956年5月1日、水俣市の医師が、突然歩けなくなるなどの症状が出た姉妹の入院を保健所に届け出たことが公式確認とされ、1日で68年となります。

慰霊式は、水俣病の原因物質、有機水銀を含むヘドロなどを埋め立てた水俣市の広場で行われ、患者や遺族、伊藤環境大臣などおよそ670人が参列しました。

式では、犠牲者に黙とうがささげられたあと、母親が認定患者で、父親と自身は国の救済策の対象となった水俣市の川畑俊夫さん(73)が祈りのことばを述べました。

この中で川畑さんは、現在も患者としての認定や裁判で救済を求める人が後を絶たない現状を踏まえ「国と熊本県、そしてチッソには、患者の現状に真摯(しんし)に向き合い、全面解決してもらうことをせつに望みます。もう二度と公害病を起こさないようにと、願っています」と述べました。

このあと、伊藤環境大臣は「政府を代表して、水俣病の拡大を防げなかったことをおわび申し上げます」と謝罪しました。

また原因企業・チッソの木庭竜一社長は「患者の補償責任を果たしていく決意は今後も変わらず、継続していく」と述べました。

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