鴻上尚史(こうかみ・しょうじ) 1958年、愛媛県生まれ。作家、演出家。81年に劇団「第三舞台」を結成。作・演出を数多く手掛け、これまでに紀伊國屋演劇賞や岸田國士戯曲賞、読売文学賞を受賞した。表現力や演出、教育、同調圧力など幅広いテーマで著作を続け、近著に「君はどう生きるか」(講談社)「生きのびるヒント」(論創社)などがある。
◇◆有権者のほぼ半分が投票していない
衆議院選挙の結果を受けて、これからいろんな変化が起こるのでしょう。 それでも、投票率が約53%で、前回の約55%を下回ったというのは、深刻な事態だと僕は思っています。 いろんな意味で注目された選挙でした。それでも、有権者のほぼ半分が投票していないというのは、大変な事態です。 「自分が投票しても変わらない」「自分とは関係ない」という気持ちで棄権したのだとしたら、そういう「あきらめ」や「無力感」「無関係感」は、どうして生まれたのだろうかと思います。◆「らしさ」を求められ続け 堂々巡り
僕の大胆な仮説は、「学校時代に作られた」というものです。 いまだに、「ブラック校則」と呼ばれるものが学校に残っています。地方に行けば、強化されているケースも普通にあります。 「ツーブロックの髪形は禁止」「髪のリボンは、黒か茶、白は禁止。幅は2センチ以下」などというルールです。 その理由を聞くと「中学生らしくない」「高校生らしくない」と言われます。資料写真
「中学生らしくない」とは、どういうことかと聞くと、「華美な服装や髪形だ」と言われたりします。「『華美な服装や髪形』とはどういうことか」と聞くと「中学生らしくない服装や髪形だ」と言われます。堂々巡りのたちの悪い冗談としか思えません。◆変わるときは教師達が「変えよう」と思った時だけ
この会話に論理はありません。ですから、議論は成立しません。多くの生徒は、話し合うことはやめるでしょう。そして、自分の頭で思考することも止めるのです。 だって、「中学生らしくないものは、中学生らしくない」という断定に、対話する余地はないからです。 その結果、どんなに生徒が要望しても、校則は変わりません。 変わることがあるのは、教師達が「変えよう」と思った時だけです。 そうして、生徒達は、「学校に対して、何を言ってもムダ」と思い込むようになります。◆対話を奪い、変化の可能性をあきらめる心性を作っている
「学校」という自分達を取り巻く一番大きな世界は、絶対に変えることもできない、という思考を刷り込まれていくのだと思うのです。 もし、生徒として「この校則はおかしい」と学校に提案し、活発な議論が教師と生徒の間で起こり、校則が廃止されて環境が変わるという「世界は変えられるんだ」という体験をした生徒は、卒業後の態度も変わると思います。資料写真
当然、選挙に対しても「私の一票で世界は変えられるかもしれない」と思うのではないかと感じるのです。 でも、こんな形で校則が変わるのは、本当に例外で、ニュースになるぐらいです。 「ブラック校則」の存在が、生徒達から対話を奪い、変化の可能性をあきらめる心性を作っていると僕は思っています。それが、投票率約53%の大きな理由だと考えるのです。
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