〈法廷の雫〉
 「シートベルトをしていない被害者が、車外に転落することは十分予見可能だった」  東京地裁の法廷で、細身で黒いスーツに身を包んだタクシー運転手の男(29)は、小さくうなずきながら判決をじっと聞いていた。泥酔客のために取った行為を悔いながら。

◆その時、4車線道路の右端で信号待ちしていた

 昨年4月の金曜夜。東京都港区のJR新橋駅近くで、まともに歩けないほど泥酔した会社員の男性=当時(36)=を乗せた。2分ほどして男性は「気持ちが悪い」とエチケット袋を求めた。だが、車内に用意しているはずの袋は切れていた。スライドドアの窓を開けたが、構造上、全開にはできなかった。  しばらくして港区赤坂の交差点手前で信号待ちをしていた時、男性が嘔吐(おうと)しそうになった。4車線ある直線道路の一番右の車線に停車していた。  「お客さん、外で吐きます?」と声をかけた。男性は「外」。ハザードランプを点灯させ、左後部座席のスライドドアを開けた。すると、シートベルトをしていなかった男性は路上に転げ落ちた。  この時、信号が青に変わった。男性は左隣の車線を走ってきた車にひかれ、死亡。十分に安全確認せずにドアを開けたとして、自動車運転処罰法違反(過失致死)の罪に問われた。  公判では、事実関係は認めた一方、車外への転落は予見できなかったなどとして過失責任の有無は争った。

◆転落するとは想定していなかった、でも

 被告人質問で、弁護人から転落を想定していたかを問われると、「全く想定していませんでした。席に座ったまま吐いてもらうつもりでドアを開けた」と主張。しかし、検察官が「被害者が嘔吐しそうなとき、どうするべきだったか」と問うと、絞り出すようにこう答えた。

判決の日の夜、事故現場には被告が供えた花があった

 「信号待ちでもドアを開けてはだめだった。一番左の車線に寄せてハザードをたいて、開けるべきでした」  10月4日の判決公判。熊代雅音(くましろまさと)裁判官は、当時の状況では男性が転落することは予見可能だったとして過失責任を認定した。一方で、男性が泥酔状態だったことなどを考慮し、すべての責任を被告に負わせるのは「相当でない」と指摘。求刑懲役3年に対し、禁錮1年6月、執行猶予3年の判決を言い渡した。  判決後、記者は運転手を呼びとめ、控訴するかどうかを尋ねた。  「人を亡くしてしまった事実を受け止めたい。これから事故現場に行って被害者に判決を報告する」  その日の夜、事故現場には花が供えられていた。(三宅千智)

 後部座席のシートベルト着用義務 2008年の道交法改正で、運転手が同乗者に着用させることを義務付けた。違反しても反則金はなく、高速道路では違反点数の対象になるが、一般道は含まれない。警察庁と日本自動車連盟(JAF)の調査(2023年)によると、着用率は一般道で43.7%にとどまる。

 ◇   随時連載「法廷の雫(しずく)」では、法廷で交錯する悲しみや怒り、悔恨など人々のさまざまな思いを随時伝えます。 

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