被告人は匿名、罪名は不同意わいせつ。どんな事件だろうと公判を傍聴すると、どうやら小学校教員が校内で起こした児童への性暴力事件らしい。だが、この教員は誰か、どこの学校でどんな立場だったのか、他の教員や教育委員会は適切に対応したのか。裁判では全く分からず、教委や捜査機関からも手掛かりはほとんど得られない。「被害者保護」として個人を特定し得る情報が伏せられるためだ。  横浜市教育委員会が裁判の一般傍聴を妨げた問題。ただでさえ秘匿性の高い教員の性犯罪事件の四つの裁判に延べ414人の職員を動員した。取材を重ねて見えたのは、「被害者保護」の意味合いを深く検討しないまま、妨害を正当化する根拠にし、前代未聞の対応につながっていった経過だ。  市教委は19年、被害者側のNPO法人から「マニアの傍聴を狭めたい」などと要請され、職員の動員を開始。その後も「被害者保護が必要」として続けたと説明している。  だが、その過程で「被害者は動員を望んでいるのか」「匿名公判で妨害の意味があるのか」など、手段の必要性や効果、適切さなどが検討された形跡はない。不祥事を隠蔽(いんぺい)する意図は薄かったとみられるが、大勢の職員が「被害者のため」との名分に疑問を抱かないまま動員に応じ、憲法が保障する裁判の公開原則をゆがめる結果となった。  そもそも教員の性犯罪事件では、「原則」のなし崩しがさまざまな場面で見られる。例えば、国が「できる限り詳細に公表」すると定める加害教員の懲戒処分。自治体によって運用は異なるものの、児童・生徒が被害者の場合に例外扱いできるという文部科学省の方針を盾に、処分があったことさえ公表しないケースも珍しくない。教員免許が失効となった場合、法律では例外なく官報掲載を義務付けられているが、過去にはそれを見送った事案も各地で明らかになった。  同じ顔ぶれで長期間を過ごす学校という特殊な環境で、二次被害を防ぐ慎重な対応は必要だろう。だが、「被害者保護」を理由に、事件があったことさえ一切伏せるのでは問題の検証もされ得ない。性被害の支援に長年携わる精神科医の小西聖子・武蔵野大教授は「被害者に共通するのは『なかったことにしないで』という思い」と指摘。「再発防止につなげるためにも、被害実態は社会に伝える必要がある。個人が特定されない方法はあるはずだ」と訴える。  性犯罪を巡っては、被害者に落ち度があるなどと責める風潮が強く、傷を負った側に長年、沈黙を強いてきた。依然として深刻なバッシングへの対策は必要だが、行きすぎた非公表は被害者の存在を見えなくし、声を聞かない社会にもつながりかねない。真に被害者を支え、新たな被害を生まないために、安易な「被害者保護」で事件を封印すべきではない。


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