絵本「ねないこ だれだ」などで知られる絵本作家のせなけいこさんが亡くなりました。家族のことについて語ったせなさんのインタビューを掲載します。せなさんのご冥福をお祈りいたします。(初出は2009年6月28日東京新聞朝刊。年齢などは当時)

◆父が野山で遊んでくれた

 父は保険会社に勤めた後、大学で統計学などを教えていました。高校生のころ声楽を習っていて、本当は音楽をやりたかったようですが、親が許さなかった。私のおじいちゃんは軍人でしたから。江戸時代は旗本で、時代が変わって陸軍の軍人になり、乃木大将の副官も務めたそうです。

せな けいこさん(2009年)

 父は山に行ったり、スキーをしたりするのが好きで、小さいころ、しょっちゅう近くの山へ連れていってくれました。山を歩きながら歌を教えてくれた。好きな歌はオペラのアリアなどのクラシック音楽。言葉の意味は分からなくても一緒になって歌っていました。私には弟が3人、妹が1人いますが、今でもきょうだいがそろうと、みんなで歌ったりします。今も体が丈夫なんですが、それも父が野山で遊んでくれたおかげです。

◆教育熱心な母

 母は教育熱心で、学校では学年で一番にならなきゃ駄目という主義。自分も勉強家だったから。祖母が女学校の音楽の先生でピアノも教えていたので、母は私にも習わせたんですが、練習しないとおやつをくれなかった。だからいまだにピアノは見るのも嫌い。大きくなって母に言ったんです。「あの時、絵を習いに行かせてたら、私、ピアニストになっていたよ」と。母に悪意はなく、善意を持って育てていたことは、小さいころは分からなかったんです。

◆小説家か絵描きになろうと

 私は園児のころから詩や作文を書いたり、絵を描くのが好きで、将来は小説家か絵描きになろうと思っていました。小学校から高校まではお茶の水女子大学付属の学校で、高校3年の時、母に「美術系の大学なら行ってもいいけど、お茶大なんかやることないから嫌」と言ったら、母はカンカンになって怒りました。私は「学校を出たら一銭も要りません。自分で働きます」と、たんかを切ったんです。

せな けいこさん(2009年)

 でも、父は反対しませんでした。本でも絵でもやりたい方向に進めばいい、と。高校卒業後、しばらく会社員を続けたんですが、父は「あそこで展覧会をやっているよ」と教えてくれたりしました。とても気が合って最高の父親でした。会社帰りに父と待ち合わせてお酒を飲みに行ったこともありましたよ。

◆小言を言われて勉強嫌いになったから…

 私は散々小言を言われて勉強が嫌いになったから、娘と息子に勉強しろと言ったことは一度もありません。でも、息子は「ママが言わないから勉強しなかったら、自分が困った」と言うんです。  2人がまだ幼いころ、自分の育児体験を基に絵本を作りました。娘は「ママはしょっちゅうあたしのことを使うんだから」とぼやいていましたが、最近は娘が私の絵本の文章を書いてくれます。心の中では嫌がっているかもしれませんが。(聞き手・重村敦、写真・中嶋大)

 本名・黒田恵子 東京都生まれ。19歳で武井武雄氏に入門し童画を学ぶ。1969年「いやだいやだの絵本」でサンケイ児童出版文化賞を受賞。ほかに「おばけえほんシリーズ」など。



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