東北電力は29日、女川原発2号機(宮城県)の原子炉を起動し、再稼働させる。2011年3月の東日本大震災後、東日本での原発再稼働は初めてで、事故を起こした東京電力福島第1原発と同じ沸騰水型軽水炉(BWR)としても初となる。地元住民からは再稼働への理解を示す声が聞かれる一方、「事故はいつ起きるか分からない」と不安視する人もいる。

震災当時は1、3号機が運転中で、2号機は原子炉起動中だった。約13メートルの津波に襲われ、取水路を通じて原子炉建屋隣の建物に海水が流入。一部の非常用発電機が使用不可能になったが、外部電源が1系統生き残ったことなどから冷温停止に成功し、構内の体育館は避難所として周辺住民に開放された。

東北電は震災後、再稼働に向けて11年間、総額約5700億円かけて安全対策工事を実施。想定される地震の揺れ(基準地震動)を1000ガル(ガルは加速度の単位)に引き上げたほか、防潮堤を海抜17メートルから29メートルにかさ上げ。新たに取水路からの津波を防ぐ壁なども設置した。

原発から約2キロ西の女川町沿岸部に住む阿部七男さん(75)は津波で自宅を流され、構内に身を寄せた1人。「避難できて安心した」と振り返るが、再稼働すれば「福島(第1原発)のような事故がいつ起きるか分からない」とも語る。「人間が操作するものだから絶対的な安全はない」と不安をのぞかせた。

同町の70代女性は「『核のごみ』問題が解決していないので原発はない方がいいが、恩恵もあるので(再稼働は)仕方ない」と複雑な様子。70代男性は「原発に反対はしていない。トラブルや事故のないよう運転してほしい」と注文を付けた。

ただ、女川町議会は20年9月、地元商工会などが提出した陳情を採択し、立地自治体の中で最も早く再稼働容認の姿勢を示した。町議会の佐藤良一議長(79)は「原発と共生する意識が(住民に)芽生えているのは確かだ」と話す。

佐藤議長は、昨年10月の町議選で、原発反対の姿勢を示す議員の票が伸びなかったと指摘。「建てられた以上は共生していこう。ただし、安全性については指摘していくということだ」と強調した。

2011年3月の東日本大震災当時、避難所となった女川原発構内の体育館の様子(東北電力提供)

東日本大震災の津波で自宅を流され、女川原発構内の体育館に避難した経験を振り返る阿部七男さん。手前は、がれきの中から見つかった所持品の犬の置物=7月17日、宮城県女川町

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