復興事業にめどがつき、ダンプの行き来をようやく見かけなくなった、宮城県南三陸町。新しいまちのあちこちに、白い切り紙細工が飾られている。
まちの人は「きりこ」と呼ぶ。
長方形の和紙を二つ折りにし、左右対称の絵柄をカッターナイフで切り出す。
お茶屋さんなら茶箱に「茶」の文字、お菓子屋さんなら、ケーキの箱と店の前にあったバス停の模様……。探し歩けば、漁師の浜小屋や民宿などでも見つけられる。
家の跡に立てられた看板 涙ぐんだ人
もとになったのは、県北部の神社に広く伝わる「キリコ」の風習だ。正月の神棚飾りにと、宮司がその神社伝来の意匠で紙を切り、年の瀬に氏子たちに配る。
このキリコをヒントに、アートでまちおこしをしようと2010年、南三陸の女性グループが考えた。仙台のアートディレクター吉川由美さんと一緒に、旧家や商店主から思い出話を聞きとって絵柄にし、600枚以上を店先などに貼り出した。埋もれていたまちの物語がいくつも可視化され、大好評だった。「またやろうね」と話し合っていた矢先――。
11年3月、東日本大震災の大津波が、まちごと押し流してしまった。多くの人が犠牲になった。
切り紙どころではなくなった。それでも吉川さんは翌12年夏、残っていた画像を元に、きりこを大きな看板にして、街並みの跡地に立てた。営んでいた商店があった場所で「家が建つよりうれしい」と涙ぐんだ人がいた。
それは、まちが流されても人々は生きてゆくんだという、真っ白で力強いメッセージになった。
かけがえのない人生 絵柄にして贈る
吉川さんのグループは16年から、新しい取り組みを始めた。仲間と南三陸に通い、災害公営住宅の集会所で、お年寄りの語りに耳を傾ける。そして紙を切った。
志津川の三浦みえさんは、震災で亡くなった猫のことを懐かしく思い出すんだ、と話した。その猫の横顔を、絵柄にした。
入谷の猪股たき子さんは、津波で何もかも流された中で、通帳や新しい二千円札を入れていた茶巾袋が戻ってきたという。お守りのように思えた二千円札と茶巾袋が、モチーフだ。
歌津の千葉さつ江さんは、家業の床屋をずっと続けてきたのが誇りだ、と語った。仕事道具のハサミやくしが、きりこになった。
つらい経験をした人たちは「何もいいことなんか無かった」と口にしがちだ。いや、そんなことはない。誰だってかけがえのない、祝福されるべき人生を生きてきたはず――。吉川さんたちはできあがったきりこを、一人一人に拍手をして贈った。
コロナ禍による中断を経て今年7月、きりこのプロジェクトは本格的に再開した。
切りためてきた100種類ほどを、復興事業でできた商店街の店舗や、各地に再建された事業所に飾り付けた。震災伝承施設「南三陸311メモリアル」でも、個人に向けたきりこ約70種類を交代で展示。それぞれの物語の説明もつけた。
高台の造成地に移り住んだ人たちは、新しいまちにまだ慣れない。「なじみの店を久々に訪ね、再会し、話をかわすきっかけにしてほしい」と吉川さん。311メモリアルのスタッフ、高橋一清さんは「私たちは震災ですべてを失ったわけではない。大切な記憶は残ってゆくんだということを、きりこは教えてくれる」と話した。
新たな地域文化としても、きりこは芽吹きつつある。南三陸町では、切り絵風デザインの特産品のラベルや店舗の内装をよく見かける。役場や町立病院のパーティションも、きりこのデザインだ。
今年、街角にきりこが飾られるのは11月上旬まで。きりこは大切にしまわれ、来夏また店先に貼られるのを待つ。(編集委員・石橋英昭)
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