1986年に福井市で中学3年の女子生徒(当時15)が殺害された事件で、懲役7年の実刑が確定して服役した前川彰司さん(59)に対し、名古屋高裁金沢支部(山田耕司裁判長)は23日、裁判のやり直し(再審)を認める決定をした。有罪の決め手となった目撃証言を「捜査機関が誘導など不当な働きかけをした疑いがあり信用できない」と判断した。
前川さんを巡っては、2011年に高裁支部が再審開始を認めたが、検察側の不服申し立てを受けた高裁で取り消された経緯がある。海外では検察側の抗告を認めない国も多く、改めて審理の長期化を招いている日本の再審制度の課題が浮かぶ。
事件は1986年3月19日に発生した。自宅で留守番中の女子生徒が顔や首などを刺されて殺害され、福井県警は1年後の87年3月に前川さんを逮捕した。前川さんは一貫して無実を訴え、一審・福井地裁は無罪としたが、二審・高裁金沢支部は逆転有罪とした。97年に最高裁で有罪が確定した。
前川さんを犯人とする直接的な証拠はなく、有罪とした司法判断の柱は「血の付いた服を着ていた」「犯行を告白された」など、前川さんの関与をほのめかす複数の知人らの証言だった。再審請求審では、これらの証言が信頼できるか否かが最大の争点となった。
23日の決定は前川さんの関与を最初に供述した知人の証言を検討した。この知人は当時、薬物事件で逮捕・勾留中で「供述を取引材料に自己の利益を図ろうとする態度が顕著だ」と指摘した。
前川さんの胸あたりに血が付いていたなどとした別の一人の証言にも疑義を呈した。テレビ番組の場面の記憶を根拠に、事件当日に前川さんと会ったと供述したが、弁護側が提出した新証拠により、「見た」とした場面が放送された事実はなかったと判明したとし「信用性に重大な疑問を生じさせる」と述べた。
検察側はその事実を把握していたのに、後の公判で「動かしがたい客観的事実」として扱い続けたと問題視。「公益を代表する検察官としてあるまじき、不誠実で罪深い不正と言わざるを得ず到底容認できない」と厳しく批判した。
捜査に行き詰まった捜査機関が知人の一人の供述に基づいて「他の関係者に対して誘導などの不当な働きかけを行い、噓の関係者供述が形成された疑いが払拭できない」とし、一連の証言の信用性を否定した。弁護側が提出した新証拠を「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」と認め、再審を開始すべきだと結論付けた。
検察側は、今回の決定に対して異議を申し立てることができる。期限は28日までで、今後の対応が焦点となる。
申し立て後は、高裁の「異議審」で再審を認めるべきか改めて審理される。さらに異議審の結論にも不服があれば、特別抗告をして最高裁まで争うことができ、確定までさらに時間がかかる可能性がある。
前川さんが最初に再審を申し立てたのは服役後の2004年7月。7年の審理を経た11年、高裁支部は有罪の根拠となった関係者証言の信用性を疑問視し、「犯人とすることに合理的な疑いが生じる」として再審開始をいったん認めた。
検察側は異議を申し立て、改めて審理した名古屋高裁(本庁)は13年に「証言は信頼できる」として一転して再審開始を認めない決定を出し、最高裁で確定した。
弁護側は今回の決定を受けて「異議申し立ての余地は常識的にはない」としている。名古屋高検の畑中良彦次席検事は「決定文を子細に検討し、適切に対応したい」と述べ、異議申し立ても含めて検討するとみられる。
10月に確定死刑囚から再審無罪が確定した袴田巌さん(88)の事件でも、再審開始を認めた14年の静岡地裁に対し、検察側が即時抗告した。最終的に東京高裁で再審を認める判断が確定するまで約9年を要し、再審について定める刑事訴訟法が検察官の抗告を認めていることが審理の長期化の一因となった。
海外では再審開始決定に対する検察官の抗告を認めず、再審の中で有罪立証して争うべきだとするケースが多い。日弁連によると、フランスやドイツ、英国などは再審開始に対する検察官の上訴ができず、米国も原則としてできない。規定上は上訴できる韓国も検察庁が抗告を慎重におこなうマニュアルを作成している。
再審を巡っては、捜査機関が持つ証拠を申立人側に開示することについて規定がない問題も指摘されている。袴田さんの事件では、最初の再審請求から約30年が経過して開示された証拠が再審開始の決め手となった。前川さんの今回の再審請求でも、当初は証拠開示を拒んでいた検察側に対して裁判所が促した結果、当時の捜査資料など287点が開示された。
元裁判官の水野智幸・法政大法科大学院教授は「ほぼ唯一の証拠だった証言の信頼性が否定され、客観的な裏付けを欠く供述に頼る捜査の危うさが浮き彫りになった。開示された証拠に基づいて明確に信頼できないと判断されており、異議申し立てをしても結論を覆すのは困難ではないか」と指摘する。
「今回は開示証拠が重要な役割を果たした。検察官の不服申し立ての可否も含め、再審のあり方を真剣に議論する必要があるだろう」としている。
(嶋崎雄太)
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