ドッジボール全日本総合選手権の決勝で、姿勢を低く保ち相手の攻撃をギリギリでよける選手=いずれも宇都宮市の日環アリーナ栃木で
◆実は大人も夢中になる競技
体育館を揺るがすような大声援が響く。10月6日、宇都宮市で開かれた「2024 JDBA(日本ドッジボール協会)全日本総合選手権」。選手たちがボールを投げ、キャッチするたびに場内が盛り上がる。「どうです。すごい迫力でしょう」。駆けつけたドッジボール日本代表総監督の吉田隼也(としや)さん(43)が、ほほ笑んだ。 この日は予選を勝ち上がった52組、約800人が日本一を競い、U-15(15歳以下)の部は東海地区代表のFeujon Jr.(フュージョン・ジュニア、岐阜県)、一般(ファイター)の部は関東地区代表のVegaes O3(ベガーズ・オースリー、東京都)が優勝した。 観客席からの応援、競技者の熱気はバスケットボールなどの他競技に勝るとも劣らない。「ドッジボールというと、小学生の遊びというイメージがあるかもしれませんが、大人も夢中になる素晴らしい競技だと思っています」。JDBA副会長の森浩美さん(64)が解説してくれた。◆広まった理由も、公式ルールも謎のままだった
ドッジボール全日本総合選手権の準決勝で、姿勢を低くして相手の攻撃に備える選手
特殊な歴史をたどってきた。森さんによると、ドッジボールは明治期に日本に伝来。ドイツの「ヘッズベル」という競技を欧州視察団が持ち帰った説や米国から「円形デッドボール」と呼ばれる競技を教育者・坪井玄道らが広めた説など、諸説ある。だが、問題はその後。シンプルな競技ゆえ、「何となく、広まっていってしまった」(森さん)。 ”正式”な競技として動き出したのは平成になってから。作家・作詞家でもある森さんの元に出版社からドッジボールを題材にした漫画の原作の依頼があったことがきっかけだった。 「いくら調べても、公式ルールが見つからない。そのとき、海外から伝わった際に、だいたい、こうだよと各地に広まり、そのまま続けられていたことがわかった。だから、コートの形も人数もルールも地域ごと、学校ごとで違う。こんなに有名なスポーツなのに皆、ローカルルールでやっていたんですね」。これではいけないと森さんらは1991年に協会を立ち上げ、公式ルールを作った。 JDBAでは年齢などによって規定を細かく定めているが、例えば、この大会は8人制(コート内人数)を採用。5分1セットマッチ(準決勝・決勝は3セット)で行った。内野同士・外野同士のパス禁止、ボールを取ってから5秒以内に投げなければいけないなどのファウルがあり、違反するとイエローカードが出ることも。ドッジボールは世界中で行われており、日本は主に一つのボールを使うシングルだが、世界では「マルチボール」と呼ばれる複数球による試合が主流だという。◆「ドジャース」と「ドッジボール」…その名に通ずる由来
ちなみに、ドッジボールの「DODGE」は、英語で「避ける」「かわす」の意味。大リーグ・大谷翔平選手が所属するドジャースもこの言葉に由来する。当時の本拠地・ニューヨークのブルックリンには路面電車が走っており、これを巧みに避けて通行する市民の姿から、ドジャース(避ける人々)と名付けられたとされる。日本では避ける、逃げるはあまり良いイメージで捉えられないが、海外ではそうでもないようだ。ドッジボール日本代表総監督の吉田隼也さん
ドッジボールは漢字で書くと、「避球」。ここに、この競技の教育理念が隠されている。 「以前、運動が苦手な子がいましたが、逃げたり、大きな子の後ろに隠れたりし、チームの司令塔として活躍しました。その人それぞれ、役割を持てるのがドッジボールなんです。また、苦手な人を得意な人が守らなければ、チームは勝てません。社会性を学べるスポーツでもあるんです」と森さん。 吉田さんも頷(うなず)く。「ドッジボールって、その名の通り、避けていいんです。かわしたり、逃げたりすると褒められるんですよ。逃げてヒーローになれるスポーツなんて、他にありますか?」 ◆文・谷野哲郎/写真・田中健 ◆紙面へのご意見、ご要望は「t-hatsu@tokyo-np.co.jp」へメールでお願いします。 鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。