苦境に陥った地方の酒蔵を復活させようと、大手酒造会社のOBらが京都市右京区に経営支援会社「夢酒蔵」を立ち上げた。今は滋賀県内の老舗の再生に奮闘し、ゆくゆくは海外輸出も視野に入れる。退職後、夢への挑戦が始まった。(共同通信=上田麻由佳)
2024年1月下旬、滋賀県高島市。1877年創業の吉田酒造で日本酒の仕込みが行われていた。「最初はタンクの修理からでした」。夢酒蔵代表の大辺誠さん(61)は支援を始めた頃をそう振り返る。
もともと日本酒が好きで月桂冠(京都市伏見区)に入社。取締役まで務めたが、会社人生のほとんどは管理部門だった。企業の合併・買収(M&A)を担当していた時、吉田酒造買収の話が持ち込まれた。実現はしなかったが、「もう一度日本酒の仕事がしたい」との気持ちが高まった。一念発起して退職し、OBらを集めて2022年1月、夢酒蔵を設立。社名に「夢を持って応援する」との思いを込めた。
「今の量の10倍を造り、高島市内でほぼ消費していた時代もあった」。吉田酒造会長の吉田肇さん(63)は話す。アルコール離れなどで売り上げが落ち、新型コロナウイルス禍で打撃を受けたところに大辺さんらが加勢、設備修理などを始めた。
2年目の酒造りは大規模な整備をした上で挑み、手応えを感じている。地域で長年愛されてきた銘柄「竹生嶋」に加え、新たに「天祐一献 竹生嶋」シリーズも生み出した。
現在は夢酒蔵メンバーが昔の人脈を生かして販路を開拓し、経営難の影響で途絶えた取引を復活させるなどして汗を流す。「地元の飲み屋さんに行ったら、うちの新酒を扱ってくれていた。ありがたい話です」と吉田さんは顔をほころばせる。
日本酒は国内出荷量が減少傾向にある一方、輸出は好調だ。大辺さんは「海外を目指さない手はない」と意気込む。吉田酒造の日本酒の輸出にも挑戦するつもりだ。
夢酒蔵は3年目をめどに吉田酒造を立て直した後、次の支援に移る予定。10年後には複数の酒蔵を手助けすることを目標にしている。
鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。