日本経済新聞はデジタル時代ならではの先端的な取材手法や表現技術を進んで取り入れてきた。2024年度の新聞協会賞の対象となった2本の電子版コンテンツは、公開情報を分析するOSINT(オープンソースインテリジェンス)や3D表現を駆使し、報道の新しい地平を切り開いた。

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社会の要請も大きい。スマホなどの端末でニュースに接する人が多くなっている。もはやメディアの土俵は活字が中心の紙媒体の世界にとどまらない。真偽にかかわらず大量の情報が飛び交うインターネット社会で、確かで分かりやすい報道を求める読者のニーズに応えることは新聞のますます重要な責務になる。

成功例と言えるのが受賞コンテンツのひとつ「原発処理水を海洋放出へ 福島第一、廃炉へ新段階」だ。事故を起こした原子力発電所の廃炉に向けて、いつまでも敷地内に貯蔵しきれない処理水を海に流す。この難作業のプロセスを視覚的に解説した。

当事者の東京電力や国の公表資料は分かりにくい。肝心の原発の敷地は厳しい立ち入り制限がある。取材班は大量の写真から立体画像を合成する「フォトグラメトリー」という手法に注目した。ヘリコプターから現地を空撮し、3Dモデルを自作した。放出が始まる前月の23年7月に公開にこぎつけた。

もうひとつのコンテンツは24年1月に公開した「JAL機炎上、そのとき何が 検証・羽田空港衝突事故」。新年早々、滑走路で日本航空機と海上保安庁機がぶつかった経緯を3Dモデルでつまびらかにした。SNSの投稿映像や航空機の航跡データ、現場のライブカメラ、管制の交信記録などの断片的な情報をつなぎ合わせ、異例の事故の瞬間に迫った。

世界の解像度を高める。これが日経のビジュアルジャーナリズムの合言葉だ。リアルの伝統的な取材手法と先端的なデジタルスキルを組み合わせ、新しいニュース体験を提供する。今回の2本はこれまでの取り組みの延長線上にある。

23年11月公開の「中国に狙われた工作機械」は中国が日米欧の工作機械を核開発に転用している疑いを明るみに出した。核機関の技術者が実際に操作している映像を解析し、メーカーを特定した。視覚的な証拠から事実を発掘する「ビジュアルインベスティゲーション」と呼ぶ調査報道の手法だ。

工作機械は機械をつくる機械で「マザーマシン」とも呼ぶ。一般にはなじみのない技術だけに、メカニズムを3Dで見せるなど丁寧な紹介に腐心した。

経済安全保障の問題を投げかけ、日本政府が輸出管理の強化に動いた。24年7月に「国際文化会館ジャーナリズム大賞」を受賞した。

24年6月に公開した「氾濫する生成AIアニメ」は、ネットユーザーが生成AIによって日本の人気アニメキャラクターに類似した画像を大量に生み出している実態を明らかにした。9万枚の画像を調査し、著作権侵害の疑いのある約2500枚を特定した。

コンテンツと連動したドキュメンタリー動画「NIKKEI Film」を制作し、読者の入り口を広げる試みも始めている。「工作機械」では中国の国営メディアなどの配信映像や専門家のインタビューをちりばめた。

「AIアニメ」では漫画家、佐藤秀峰氏の協力を得て代表作「ブラックジャックによろしく」のカットからAI動画を作成した。アニメ産業やクリエーターの仕事を一変させる可能性を秘めた先端技術の功罪を浮き彫りにした。

一連のコンテンツや動画は英文媒体Nikkei Asiaを通じて英語でも同時に発信している。世界展開が容易なのも、ビジュアル表現に重きを置いているからこそだ。海外でも関心の高いテーマであれば、欧米の主要メディアと同じ舞台で競い合える。

生成AIをはじめ技術の進歩のスピードは著しい。取材や表現の新しい手法もすぐに陳腐化しかねない。デジタル時代に必要とされ、信頼されるグローバルメディアであり続けるために試行錯誤を重ねていきたい。

エンジニアら 記者と協働


 デジタル時代の読者に訴求するビジュアルコンテンツを生み出すのに旧来の縦割りの体制は適さない。より分かりやすく、より深く伝えるためにはどのようなビジュアル素材やデータが必要なのか、普段から緊密なコミュニケーションが欠かせないからだ。
 日経は編集者や記者、デザイナー、エンジニアで構成する職種横断のチームをつくっている。異なる経験やスキルを持つ人材が机を並べ、文字通りに協働する。どういう表現に落とし込むか早い段階から同じ目線で考えるために、デザイナーやエンジニアが記者の取材に同行するようなケースも増えた。
 「ニュースルームデザイナー」「ニュースルームエンジニア」といった肩書も設けている。編集とは別の部門ではなく、あくまで記者と同じ組織(ニュースルーム)で仕事をするという位置づけを明確にした。
 振り返ると、日経電子版の創刊は2010年。紙の新聞を単に置き換えるだけにとどまらないデジタルならではの付加価値を持つコンテンツづくりは当時からの古くて新しい課題だ。
 「ビジュアルデータ」のブランドでの発信を始めたのは10年前。景気関連などのデータを一覧できるダッシュボードやインタラクティブな地図をはじめ読者に新しい体験を提供してきた。多様なコンテンツをつくるために、ウェブ開発を専門とするデザイナーやエンジニアの採用も拡充してきた。
 データジャーナリズムに本格的に取り組み始めたのは5年前。プログラミング言語を使ってネット上の情報を機械的に収集する「スクレイピング」や大容量のビッグデータの分析などをこなせる記者を育て、データ志向の報道を強化してきた。
 19年8月に報じた「中国版GPS網、世界最大 130カ国で米国製抜く」は位置情報を得るのに必要な測位衛星の分野で中国が影響力を高めていることをデータで裏づけた。米連邦議会の超党派諮問委員会「米中経済安全保障再考委員会」が年次報告書で引用するなど国際的な反響を呼んだ。
 近年は衛星画像を手がかりにした報道にも力を入れる。22年5月に公開した「中国、空自機形のミサイル標的設置か 衛星写真で初確認」は、中国・新疆ウイグル自治区の砂漠に日本の自衛隊の航空機模型が設置してあるのを見つけ、破壊に至るまでを追跡した。
 こうした蓄積の上で23年に結成したOSINT取材班が新聞協会賞につながる成果を生んだ。デジタル報道の可能性は尽きない。全社的な研究開発組織である「日経イノベーション・ラボ」とも協力し、新たな領域を開拓していく。

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