長崎市の三瀬清一朗さん(89)は、10歳のときに爆心地から3.6キロ離れた自宅で被爆し、ことしの長崎原爆の日の平和祈念式典で「平和への誓い」を述べました。
14日は、長崎と広島の高校生合わせて15人が平和活動について考える研修会に招かれ、みずからの体験を語りました。
三瀬さんは、日本被団協がノーベル平和賞に選ばれたことについて「大変うれしかった。ようやく平和の種が芽を出したところだと思う」と語りました。
そのうえで「1つでも多く核兵器を減らしてもらいたい。ノーベル賞をきっかけに早く平和な世界になることを望んでいる」と高校生たちに伝えました。
講演を聞いた広島市の高校2年の男子生徒は「ノーベル賞に選ばれたことで、被爆者の方たちの活動が報われたと感じました。私も自分なりのやり方で被爆した方の経験を伝えていきたい」と話していました。
広島 日本被団協 元代表理事が被爆体験伝える
また、広島でも、日本被団協でかつて代表理事をつとめた男性が高校生たちにみずからの被爆体験を伝えました。
14日は広島市の原爆資料館で、かつて日本被団協の代表理事をつとめた清水弘士さん(82)が、栃木県立小山高校の2年生およそ250人を前にみずからの体験を伝えました。
清水さんは、3歳の時に爆心地から1.6キロ離れた自宅で母親とともに被爆したときのことを話し、「私は奇跡的に生き延びたが、戦争が終わっても被爆者は病気や差別で苦しみながら生きてきた。それが戦争だ。二度と戦争をしないような国にしてもらいたい」と呼びかけました。
参加した生徒の1人は「被爆者が高齢化する中、被爆体験を自分より若い世代に伝えていくことが必要だと感じました」と話していました。
清水さんは「国際社会で核の脅威が高まっている今、訴えることができるのは被爆者だと、国際社会から言われたような気がしました。力を振り絞って原爆の惨状を伝えていきたい」と決意を語りました。
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