原爆が落ちた「あの日」以降の被爆者の証言や活動の記録を収集してきたNPO法人「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」(東京)は、原爆関連の資料庫を持っている。保管数は約1万8000点。ノーベル平和賞に選ばれた日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の資料も多く残る。戦後80年が迫り、課題とされる記憶と記録の継承について、現地を訪れて考えた。(山田雄之)

◆JR南浦和駅からほど近いビルの一室に

 さいたま市南区のJR南浦和駅からほど近いビルの一室に、「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」の資料庫はあった。一般公開されていないが、「こちら特報部」は10月初旬、事務局で資料整理を担う栗原淑江さん(77)に案内してもらった。

「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」の資料庫を管理する栗原淑江さん=さいたま市南区で

 約40平方メートルの部屋は、資料の酸化を防ぐために中性紙を使った保存用の「もんじょ箱」がラックに隙間なく置かれ、床にも積まれていた。壁際に並ぶ本棚も、冊子や書籍がびっしりだ。  「継承する会」の資料庫は南浦和と東京都中野区の2カ所にある。被爆者の唯一の全国組織で、11日にノーベル平和賞の受賞が発表された被団協の資料を中心に被爆者の証言など約1万8000点が保管されている。

◆戦後30年を経て、心の苦しみ語る人が…

 まず広島で被爆した母親が1978年に語った証言の記録を見せてもらった。原爆が落とされて火が迫る中、幼い娘2人をがれきから引っ張り出せず「悪いお母さんを許して。勇気がなくて死ぬことができない」と伝え、助けられないままに逃げたと記されていた。  戦後30年余りがたった頃、この母親のように「目の前の人を助けられなかった」と原爆投下直後から抱える悔いを語る人が出てきた。以前からケロイドなど外面的な被害は世間に知られていたが、心の苦しみは明るみに出ていなかった。  栗原さんは「極限状態に追い込まれ、戦後の人生にも影響が続いていることも『被害』なんだと認識する機会になった」と話した。

◆各国代表への訴え、原稿用紙に手書きで丁寧に

 もんじょ箱の一つを開けると、1982年に米国で国連軍縮特別総会があった際、参加した被団協のメンバーが各自で持参し、各国の代表団に核廃絶を訴えた文書が納められていた。  「核の脅威のない平和の世界を築くことが切実な願い」「戦後の混乱期から現在まで言葉に尽くせない苦しみをなめています」。原稿用紙や便せんに、手書きの丁寧な字が並んでいた。栗原さんは「皆が『誰にも同じ思いを経験させたくない』と強い意志で運動していた。被爆者が戦後、どんな思いを抱いて生きたのか。ここの資料には歴史が詰まっている」と説く。

広島の原爆ドーム(資料写真)

 「継承する会」は2011年に発足。ノーベル文学賞作家の故大江健三郎さんらが呼びかけ人となり、会員には俳優の吉永小百合さんら約400人が名を連ね、約50の賛助団体がある。高齢化に伴い、被爆者の会の解散や活動縮小が見込まれる中で、被爆者の体験や戦後の記録を散逸させず、後世に伝える目的を持ち、保管が難しい場合に資料を受け入れてきた。被団協とは当初から連携しており、活動資料の保管を一手に引き受ける。  もっとも会が13年に構想を示した収蔵と活動の拠点「継承センター」設立のめどは立っていない。6億円を目標に寄付を募るが、現在まで約1000万円にとどまる。栗原さんは「具体的な場所や建物を見つけられていないこともあり、なかなか進展していない状況だ。貴重な資料も活用されなければ、価値が発揮されない」と悩む。

◆拠点づくりに先駆け、進むデジタルアーカイブ化

 拠点づくりに先駆け、ネット上で被爆者の証言などに触れてもらおうとデジタルアーカイブ化を進める。「オンラインミュージアム」と題し、22年に国連本部で実施した原爆パネル展を日本語と英語で見られるようにし、保管する被爆者の体験記集23冊を今年8月に公開した。閲覧できる資料を増やしていくという。  そんな中、栗原さんが「継承のモデルケースの一つ」と感じているのが、昭和女子大(東京都世田谷区)の「戦後史史料を後世に伝えるプロジェクト」だ。18年から松田忍教授(日本近現代史)の指導の下で、学生たちが会の資料を活用しながら、歴史学の視点で被爆者運動の意義を研究し、発信している。

「戦後史史料を後世に伝えるプロジェクト」を指導する松田忍教授=東京都世田谷区の昭和女子大で

 授業ではないため、他大学の学生も受け入れており、本年度までにのべ約100人が参加した。週末にオンライン会議をしたり、休日に資料庫に出向いたりして、毎年秋にある昭和女子大の学園祭「秋桜祭」などで成果を発表してきた。

◆昭和女子大学園祭に実物資料貸し出し

 今年も11月9、10の両日の学園祭に向け、準備に励んでいる。今回は被爆者の被害調査、政府への責任追及や援護要求、国際社会への核廃絶の訴えなどの運動を伝える約40点の実物資料を借りて展示し、1点ずつを音声ガイドで解説する。  資料と向き合っている学生たちは、平和や核への認識を新たにしている。昭和女子大3年の福元彩文さん(20)は「教科書は『あの日』『あの瞬間』しか載っておらず、被爆者の『その後』を知らなかった。忘れたいような悲惨な記憶を語り、平和を守ろうと活動してきた思いを引き継がなければならない」。明治学院大3年の室田素良さん(20)は「直筆の資料から被爆者たちの思いが伝わってきた。それぞれに生活があったことを想像でき、私たちとのつながりを感じられた」と話す。

学園祭での展示に向け、栗原さんと資料を見る昭和女子大のプロジェクトのメンバーたち=さいたま市南区で

 松田教授は、プロジェクトの目的を「世界各国の核に反対する姿勢には、被爆者運動が大きな役割を果たしている。だが世界に力強く訴える被爆者は、最初から存在するわけではない。戦後、当事者たちの選択や努力によって生まれていった過程を明らかにしたかった」と説明し、一つの価値として「多くの学生が、戦争や原爆が現在までの歴史に『地続きになっている』と受け止め、興味を抱く機会になっている」と語る。

◆「後世に残さなければ、なかったことに」危機感

 来年は戦後80年。課題とされる継承について、栗原さん、そして被爆者はどう考えているのか。  「半世紀以上にわたり本当に学ばせてもらった」と栗原さんは振り返る。一橋大のゼミで長崎の被爆者調査に参加し、卒業後も助手として1977年の国際シンポジウムに向けた調査に取り組んだ。80年に被団協の事務局に入り、被爆者の活動を近くで見てきた。  「記録や証言を後世に残さなければ、なかったことになってしまう」と危機感を持ち、91年に被団協を辞めると、被爆者の「自分史」を載せるミニコミ誌を20年間発行し、「継承する会」の活動に軸足を移した。栗原さんは「戦争を起こさせない、核を二度と使わせないという意志を一人一人がどれだけ強く持てるのか。皆が被爆者から学び、自分ごとに置き換えることが必要だ」と訴える。

ノーベル平和賞に決まり、記者会見する被団協の浜住治郎事務局次長(右から1人目)ら。活動資料の保管は「継承の会」が一手に引き受けている=12日、東京都千代田区で(安江実撮影)

 被団協の浜住治郎事務局次長(78)は「いつかは必ず、直接伝えられる被爆者はいなくなる。実際、私たちも資料を通して学ぶことが多い」とし、こう続ける。「被爆者運動の経緯などを見直すと、これからの自分の生き方を模索する上で、力や手がかりを与えてくれる。被爆者だけが感じるものではないはずだ。『あの日』以降の記録を保存し、活用する動きが各地に広がってほしい」

◆デスクメモ

 「核兵器が80年近く使われていないのは彼らの貢献のおかげでもある」とノーベル賞委員長がたたえた被団協。活動記録を保管するのが「継承する会」だ。先人の足跡は道しるべになる。資金面などで継承が滞るのは残念でならない。多くの人の力を借りられる仕組みができればと思う。(榊) 

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。