福島県石川町は日本有数の鉱物の産地だ。核兵器の材料となるウランが含まれる石も採っていたため、戦時中は、幻に終わった陸軍の原爆開発計画「ニ号研究」の採掘場にされた。今春リニューアルした町立歴史民俗資料館では「戦争に利用された歴史を見てもらいたい」と、関連資料を多く展示している。(共同通信=湯山由佳)
太平洋戦争中の1943年、陸軍の要請で、理化学研究所(理研)の仁科芳雄博士らによるニ号研究が始まった。しかし、思うようにウランを抽出できないまま終戦となって計画は頓挫。町には、選鉱で使う水をくみ上げたポンプ小屋の一部が今も残る。
資料館は1974年に開館し、老朽化などから場所を移転して今年4月に再開した。展示の中心は、ガラスの原料である石英や上薬になる長石といった約200点の鉱物や岩石。町の歴史が書かれたパネルなどもある。
角田学館長(52)はリニューアルの際、ニ号研究関連の展示を充実させた。きっかけの一つが改装中に始まったウクライナ危機だ。ロシアによる核兵器使用の威嚇もあったため「ニ号研究は町の暗い歴史だが、積極的に伝えなければならないとの使命感が芽生えた」と話す。
関連コーナーでは、ウランを含むサマルスキー石など理研が用いた「希元素鉱物」を展示。学徒動員により、中学生が鉱石採掘に従事した事実を伝える資料も置いている。
鉱物の平和的な利用に関する展示にも力を入れた。ニ号研究に関わって一時町へ移住した理研の飯盛里安博士は、戦後に連合国から放射化学の研究を禁じられ、石英などを用いた窯業に取り組んだ。その過程で色鮮やかな人造宝石の合成に成功し、商品化して米国などへ輸出した。リニューアルに合わせ、博士の親族から寄贈された人造宝石を公開している。
原爆計画の一翼を担わされた町。角田館長は「もし日本が先に他国へ原爆を落としていたら、世界はどうなったと思いますか」と問いかける。「表舞台に出ない歴史の上に今の平和があることを知ってほしい」
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