◆「今、核兵器をなくすことを真剣に考えなくてはいけない」
ノーベル平和賞に決まり、記者会見する被団協代表委員の田中熙巳さん=12日、東京都千代田区で(安江実撮影)
記者会見にはオンラインを含め、広島と長崎の被爆者の役員7人が参加した。 「今の世界情勢から、核兵器をなくすことを真剣に考えなくてはいけないと、ノーベル賞委員会が考えた」。田中さんは今回の受賞の背景をこう推測した。 12日正午過ぎには、石破首相と電話で話し、後日に面談したいと伝えたことを明かした。その際は、米国の核兵器を日本で運用する核共有について「考え方が間違っていると説得したい」と話した。 受賞の知らせを聞いたときは「本当かいな」と思ったが、「今朝になったらうれしくなってきた」と振り返った田中さん。13歳の時、長崎市の爆心地から3.2キロの自宅で被爆し、親族5人を亡くした。「けが人と遺体が散乱していた。原爆は使っちゃいけない」と訴えた。◆核共有「日本が戦争加害国になるかもしれない」
ノーベル平和賞に決まり、記者会見する被団協代表委員の田中熙巳さん(左から2人目)ら=12日、東京都千代田区で(安江実撮影)
事務局次長の浜住治郎さん(78)=東京都稲城市=は、広島市の爆心地から4キロで母の胎内で被爆。父は爆心地近くで亡くなり、骨も消えた。「忘れたことがない父に、まず報告したい。高齢化で会員が減って厳しい中でも、核兵器を廃絶していく」と誓った。 1歳の時に長崎市の爆心地から2.9キロで被爆した事務局次長の和田征子さん(80)=横浜市鶴見区=は「核共有は日本が戦争加害国になるかもしれず、許してはならない。私たちの運動は何だったのか」と憤った。 被団協は1956年に結成されてから、国連や国際会議などに足を運んで被爆体験を証言し続けてきた。会見の終盤、今後の取り組みについて問われた田中さんは、こう呼びかけた。「核兵器をなくすのは人類の課題。運動をどう強化していくか議論してほしい。皆さんは、全員が被害者候補だ」 (増井のぞみ) 鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。