1972年札幌冬季五輪スキー・ジャンプ70メートル級(現ノーマルヒル)で表彰台を独占した「日の丸飛行隊」の中心選手で、日本人初の冬季五輪金メダリストとなった笠谷幸生(かさや・ゆきお)さんが23日午前、虚血性心疾患のため札幌市の病院で死去した。80歳。北海道出身。葬儀は25日、近親者により行われた。喪主は妻則子(のりこ)さん。後日お別れの会を開く。  28歳で迎えた札幌五輪は、兄の昌生(あきお)コーチ(故人)が見守る前で、70メートル級の1回目に84メートルの最長不倒で首位に立ち、2回目を79メートルにまとめて完勝した。金野昭次(こんのあきつぐ)さんが2位、青地清二さん(ともに故人)が3位と続き、国中を沸かせた。90メートル級(現ラージヒル)は7位だった。  北海道の余市高(現余市紅志高)から明治大に進み、64年インスブルック五輪出場。ニッカウヰスキー入社後、70年世界選手権70メートル級で2位になるなど力強い踏み切りと空中や着地での美しい姿勢を武器に活躍した。本場欧州では、71~72年シーズンのジャンプ週間で3連勝しながら、札幌五輪に備えるため、当時誰も達成していなかった4戦全勝が懸かった最終戦を欠場して帰国したことでも知られる。  4度目の76年インスブルック五輪を終えて引退し、社員を続ける傍らコーチとして後進を指導。日本勢のメダルラッシュとなった98年長野五輪は飛型審判員を務めた。全日本スキー連盟や日本オリンピック委員会(JOC)の理事を歴任。2010年バンクーバー五輪は日本選手団副団長を担った。18年に文化功労者に選ばれた。

1972年札幌冬季五輪のスキー・ジャンプ90メートル級で、美しいフォームで飛ぶ笠谷幸生さん




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