静岡県で1966年に起きた強盗殺人事件をめぐり死刑が確定した袴田巌さん(88)の再審で、静岡地裁は26日、無罪の判決を言い渡した。判決理由は次の通り。(随時、更新します)

第1 起訴内容の要旨

 起訴内容の要旨は、被告人が1966年6月30日午前1時半ごろ、金品を奪う目的で、当時の静岡県清水市(現在は合併により静岡市清水区)の会社専務宅に忍び入り、金銭を物色中、発見追跡され、同家裏口付近で格闘することなったので、持っていたくり小刀(刃渡り約1 2cm)を振るい、殺意をもって、専務(当時41歳)の胸部等を数回突き刺し、さらに、このことに気付いた住人をも殺害しようと決意し、同家居間で専務の妻(当時39歳)、長男(当時14歳)及び二女(当時17歳)の胸や背中をくり小刀でそれぞれ突き刺し、被害者らに重傷を加えた上、専務が保管していた会社の売上現金20万4095円、小切手5枚(額面合計6万3970円)、領収証3枚を強取し、犯跡を隠す目的で被害者らに混合油を振りかけ、マッチで点火して家に放火し、専務らが住む木造平家建住宅1棟を消失させるとともに、専務ら4人を殺害したというものである。

第2 再審公判に至る経緯と審理経過の概要

(省略)

第3 争点及び裁判所の判断の骨子

1 本件の争点

 本件の争点は、被告人の犯人性、すなわち、被告人が犯人であるか否かである。

 検察官は、被告人の自白を犯人性の立証に用いないことを前提として、犯人が本件工場関係者であることが強く推認される上、証拠から推認される犯人の本件事件当時の行動を被告人がとることが可能であったこと(主張①)、工場のタンク内から発見された5点の衣類は、被告が犯行時に着用し、事件後にタンク内に隠匿したものであること(主張②)、被告人が犯人であることと整合する諸事情が存在すること(主張③)が認められると主張する。

 その上で、5点の衣類を除く主張①及び主張③の事実のみによっても、被告人の犯人性は相当程度推認され、主張②の事実を併せ考慮すれば、被告人の犯人性は優に認められると主張する。

 そして、検察官は、1年余りタンク内でみそ漬けされた5点の衣類の血痕に赤みが残る現実的な可能性は否定されず、また、5点の衣類等のDNA型の鑑定は信用性が乏しいなどとして、弁護人の主張を踏まえても、被告人が犯行後、5点の衣類をタンク内に隠匿したことに合理的な疑いは生じず、5点の衣類がねつ造であるとの主張には根拠がないと主張する。

 これに対し、弁護人は、被害者らに対する怨恨を晴らす目的での複数人による犯行であるから、動機のない被告人が犯人でないことは明らかである上、血痕を付着させた着衣を1年以上みそ漬けした場合には血痕の赤みは消失するから、5点の衣類はその発見直前にタンク内に隠匿されたものであり、また、鑑定によれば5点の衣類の血痕のDNA型が被告人のものと一致しないなどとして、5点の衣類は、犯行着衣でも被告人の着衣でもなく、捜査機関によってねつ造された証拠であって、同様にねつ造された証拠である鉄紺色ズボンの共布とあわせ、証拠から排除されるべきであると主張する。

 さらに、弁護人は、検察官調書について、任意性を欠く自白であるから証拠から排除されるべきである上、被告人の自白などは、被告人が無罪であることを積極的に示していると主張する。

2 裁判所の判断の骨子

 裁判所は、被告人が犯行の犯人であることを推認させる証拠価値のある証拠には、三つのねつ造があると認められ、これらを排除した他の証拠によって認められる本件の事実関係によっては、被告人を本件犯行の犯人であるとは認められないと判断した。

 すなわち、①被告人が自白した検察官調書は、黙秘権を実質的に侵害し、虚偽自白を誘発するおそれの極めて高い状況下で、捜査機関の連携により、肉体的・精神的苦痛を与えて供述を強制する非人道的な取調べによって獲得されている。犯行着衣等に関する虚偽の内容も含むものであるから、実質的にねつ造されたものと認められ、刑訴法の「任意にされたものでない疑のある自白」に当たる。

 ②被告人の犯人性を推認させる最も中心的な証拠とされてきた5点の衣類は、タンクに1年以上みそ漬けされた場合にその血痕に赤みが残るとは認められず、事件から相当期間が経過した後の発見に近い時期に、本件犯行とは無関係に、捜査機関によって血痕を付けるなどの加工がされ、タンク内に隠匿されたもので、証拠の関連性を欠く。

 ③5点の衣類のうちの鉄紺色ズボンの共布とされる端切れも、捜査機関によってねつ造されたもので、証拠の関連性を欠くから、いずれも証拠とすることができない。職権でこれらを排除した結果、他の証拠によって認められる事実関係には、被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明することができないし、少なくとも説明が極めて困難である事実関係が含まれているとはいえず、被告人が犯人であるとは認められないと判断した。

 以下においては、まず、検察官調書に関する弁護人の主張を検討した上で、次に、被告人の犯人性の根拠に関する検察官の主張について、最大の争点とされる5点の衣類に関する主張(主張②)のうち、タンクに1年余りみそ漬けされた場合にその血痕に赤みが残るか否かという争点を中心に、5点の衣類の一つである鉄紺色ズボンの共布とされた端切れの関連性についても検討し、最後に、その他の検察官の主張(主張①及び主張③)も検討して、上記判断に至った理由を説明する。

第4 裁判所の判断

(1)検察官調書の要旨

省略

(2)取り調べの態様

省略

(3)検察官調書の証拠排除

 再審公判に至る経緯と審理経過の概要のとおり、本件検察官調書は、一審で証拠として採用されたまま、再審公判でも証拠として引き継がれている。

 弁護人は、この検察官調書は任意性を欠くとして証拠排除を求めた上、被告人の自白などは被告人が無罪であることを積極的に示していると主張している。

 当裁判所は、本件検察官調書は任意性を欠き、証拠とすることができないものであるから、職権でこれを排除するが、被告人が無罪であることを積極的に示しているとまではいえないと判断した。

 その理由は、以下のとおりである。

ア、警察官による取り調べの態様・経過

 前記の取り調べの態様や経過によれば、被告人は、警察の求めに応じて清水警察署に任意出頭してから自白前日までの19日間、夜中または深夜にわたるまで、1日平均約12時間という相当長時間の取り調べを連日受けたものと認められる。

 また警察官らは、取り調べの録音テープで一部判明した限りでも、本件犯行を否認する被告人に対し、被害者らの写真を示しつつ、同人らに対する謝罪を繰り返し求め、自白しなければ長期間勾留する旨を告知して心理的に追い詰め、犯人と決め付けて執ように自白を迫った上、尿意を催した被告人に対し、取調室に便器を持ち込んで排尿を促すなどの屈辱的かつ非人道的な対応を行ったものである。

 さらに被告人は、任意出頭当日に逮捕され、接見禁止を伴う勾留がされていたにもかかわらず、自白に至るまでの弁護人との接見は3回、合計約40分にとどまり、その初回接見の内容は全て録音されていた。

 このような取り調べの態様や経過を考慮すれば、被告人が警察官にした自白は、黙秘権を実質的に侵害し、虚偽自白を誘発するおそれの極めて高い状況下で、肉体的・精神的苦痛を与えて供述を強制する非人道的な取調べによって獲得されたものと認められ、刑訴法319条1項の「強制、拷問又は脅迫による自白」であって、「任意にされたものでない疑のある自白」に当たることは明らかである。

イ、検察官による取調べの態様・経過

 前記の取り調べの態様や経過によれば、検察官は被告人の逮捕の翌々日から被告人が自白に至るまでの間、警察官と入れ代わり立ち代わり、清水署で、証拠の客観的状況に反する虚偽の事実を交えるなどしながら、被告人を本件犯行の犯人と決め付ける追及的な取り調べを繰り返しており、被告人が検察官に犯行を自白した9月9日においても、勤務庁である静岡地検で取り調べることなく、同じ清水署で、前後の警察官による取り調べの間に連日の非人道的な取り調べで心身ともに疲弊した被告人に対する取り調べをして本件検察官調書を作成した。

 以上のような検察官の取り調べの態様、特に警察官による取り調べとの密接な連携を考慮すれば、本件検察官調書は、警察官による取り調べと連携して獲得されたものといえ、この検察官調書も「強制、拷問または脅迫による自白」であって、「任意にされたものでない疑いのある自白」に当たることは明らかである。

 これに対し、検察官は一審で、被告人が警察官に自白した後の1966年9月8日の取り調べの際、被告人に対し、警察と検察は異なるので警察で述べたことにこだわらなくてよいと告げたが、被告人が犯行を自白した、警察官調書を参考にせずに取り調べを行って検察官調書を作成したなどと証言し、一審判決は、これを根拠に挙げて検察官調書の任意性を認めている。

 しかし、被告人の逮捕の翌々日から、警察官と一緒になって被告人を犯人と決め付けて追及するなどしてきた検察官の一連の取調べの態様や経過に加え、検察官調書の内容が66年9月8日に作成された警察官調書とほぼ同旨であることに鑑みれば、検察官による取調べの際に、検察事務官のみを立ち会わせ、警察官を立ち会わせていなかったとしても、結局は、警察官と検察官が入れ代わり立ち代わり自白を強制していたことにほかならず、検察官の証言内容を踏まえても、検察官調書が警察官による取調べと連携して獲得されたものであるとの判断は左右されない。

ウ、検察官調書の任意性

 以上のとおり、本件検察官調書は黙秘権を実質的に侵害し、虚偽自白を誘発するおそれの極めて高い状況下で、警察官と検察官の連携により肉体的・精神的苦痛を与えて供述を強制する非人道的な取り調べによって作成されたものと認められる上、犯行着衣などに関する虚偽の内容も含むものであるから、実質的に捜査機関によってねつ造されたものと評価できる。

 したがって、本件検察官調書は刑訴法319条1項の「強制、拷問又は脅迫による自白」であって、「任意にされたものでない疑いのある自白」に当たり、証拠とすることができないものであるから、刑訴規則207条によって、職権で、これを排除する。

(4)被告人の自白に関する弁護人の主張の検討

 弁護人は「浜田意見」に基づき、被告人の真実に反する自白は、被告人が無罪であることを積極的に示すものであると主張する。

 浜田意見の概要は、被告人の自白調書や取り調べの録音テープを供述心理学を用いて分析した結果、被告人の自白には、真犯人であれば必ず知っているはずの事実を知らないという意味での無知の暴露が認められる上、真犯人が自らの体験記憶を供述した自然な順行性がなく、無実の者が事件の証拠などから逆行的に犯行の筋書きを構成した逆行性の徴表が認められ、取調べの録音テープからも犯行の非体験者性が強くうかがわれるから、被告人の自白などは、被告人が無罪であることを積極的に示しているなどというものである。

 しかし浜田意見は、真犯人が自白する場合は、基本的に実体験を供述することを前提としているが、真犯人が自白する場合であっても、様々な理由で実体験を供述せず、捜査官の質問や誘導または証拠に合わせるなどして実体験とは異なる供述をすることも十分考えられることに鑑みると、浜田意見はその前提自体が採用できない。

 真犯人が実体験を供述しない場合があるとすれば、浜田意見がいう無知の暴露、逆行性、非体験者性はその供述者が無罪であることを示すものとはいえず、浜田意見がいう無知の暴露が積極的に被告人の無罪を示しているというのは、論理の飛躍がある。

 したがって、浜田意見は、その具体的な内容を検討するまでもなく、被告人の無罪を示す証拠価値があるとまではいえない。

 以上によれば、浜田意見に被告人の無罪を示す証拠価値があるとまではいえず、被告人の自白が被告人の無罪を積極的に示しているという弁護人の主張は採用できない。

(5)小括

 以上のとおり、本件検察官調書は「強制、拷問又は脅迫による自白」であって、「任意にされたものでない疑いのある自白」に当たるので、職権でこれを排除する。

 また被告人の捜査段階の供述のうち、非人道的な取調べの中でも維持されていた犯行への関与を否認する供述は、犯人性を否定する直接的な証拠として評価することができるが、これを超えて、被告人の自白が被告人の無罪を示す証拠価値があるとまではいえない。

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