不妊手術などについて定める「母体保護法」を巡り、健康上の問題や配偶者の同意がなければ不妊手術が受けられないのは憲法違反として、20〜30代の女性5人が国に損害賠償を求めて訴訟を起こし、争っている。原告の訴えに耳を傾け、同法の歴史をたどると、女性の自己決定権がないがしろにされてきた実態が浮かんだ。(太田理英子)

◆安全に産める可能性がある女性は、自由意思で手術を受けられない

 「まるで『未来の母体』のように扱われることがずっと苦痛だった」  原告の一人、横浜市の会社員梶谷風音(かじやかざね)さん(28)はそう思い返す。

「母体としてではない生き方を認めてほしい」と語る梶谷風音さん=神奈川県内で

 「生理はお母さんになるための準備」。10歳ごろ、小学校でそう教わった。初潮がきて体つきが変わる中、大人の考え方にも、自分の体にも強い違和感があった。「お母さんになりたくてこの体になったわけじゃない」。成長しても違和感は消えなかった。周囲に「女の幸せは子どもを産むこと」と言われるたび、息苦しさを覚え、傷ついた。  20歳ごろに苦しさの原因が「自分の体に生殖能力が備わっていることへの嫌悪感」と気付いた。「母体としての生き方」を押しつけられるのは耐えられない。不妊手術を受けると決めたが、壁が立ちはだかった。  母体保護法で不妊手術が認められるのは「妊娠、分娩(ぶんべん)が母体の生命に危険を及ぼす」か「既に数人の子がいて分娩で母体の健康が著しく低下する」恐れがある場合のみ。配偶者がいれば同意も必要。日本では、安全に産める可能性がある女性は、自由意思で手術を受けられない。対象外の梶谷さんは約10カ所の病院に断られた。「自分の体は自分のものなのに」

◆「母体保護法は憲法違反」東京地裁に提訴

梶谷さんが不妊手術の際に渡された書類=一部画像処理

 2022年に結婚した米国人の夫は思いを理解してくれた。海外では自由意思での不妊手術を認める国が多く、2023年秋に米国で卵管を取る手術を受けた。医師に夫の同意の必要性を聞くと「あなたの体でしょ」と驚かれた。無事に手術を終え、「心の整理ができ、生きやすくなった」。  会員制サイト(SNS)で体験をつづると、不妊手術を望む複数の女性から反応があり、自分だけの問題ではないと知った。「自分の体と生殖について、自分で決められる権利を認めてほしい」。母体保護法が定める要件は、個人の尊重を定める憲法13条などに反し、不妊手術を受けられないことで重大な精神的損害を受けたとして今年2月、東京地裁に訴訟を起こした。

◆「国は女性を産む機械と思っているのでは」

 5人の原告のうち、海外で不妊手術を受けたのは梶谷さんだけだが、他の原告も手術を望む。  大阪府の大学院生、佐藤玲奈さん(仮名、25)は、他者に恋愛感情を持たない「アロマンティック」で、性的欲求を抱かない「アセクシュアル」だという。

梶谷さんとともに訴訟を起こした佐藤玲奈さん(仮名)=「わたしの体は母体じゃない訴訟」弁護団提供、雨森希紀さん撮影

 10代のとき、友人の恋愛や性体験の話に興味が持てず、居心地が悪かった。大学入学前、SNSのLGBTQ(性的少数者)のコミュニティーを通じて性の多様性を知り、自身の性的指向に初めて気付いた。  「妊娠を望まないのにこの体でい続けることがつらい」。不妊手術について調べ、要件の内容にがくぜんとした。「国は女性を産む機械と思っているのでは」。梶谷さんが準備していた訴訟に加わることにした。  家族には受け入れられているが、少子化時代に不妊手術を望むことは「理解されにくく肩身が狭い」。だが「訴訟を通じ、権利の問題だと伝えたい。そして子どもを持たない生き方を認めてほしい」と訴える。

◆ルーツは1940年に成立した「旧国民優生法」

 「母体保護法の歴史を振り返ると、いかに都合よく女性の体がコントロールされてきたのかが分かる」  原告側代理人の亀石倫子(みちこ)弁護士(大阪弁護士会)は、そう強調する。

提訴のため東京地裁に向かう原告、弁護団ら=2月、東京・霞が関で(「わたしの体は母体じゃない訴訟」弁護団提供、雨森希紀さん撮影)=東京・霞が関で(「わたしの体は母体じゃない訴訟」弁護団提供)

 母体保護法のルーツは、太平洋戦争前の1940年に成立した旧国民優生法。「悪質な遺伝性疾患の素質がある者」として障害者らに不妊措置を取る「優生手術」を認める一方、「健全な素質がある者」には不妊手術や人工妊娠中絶を規制し、人口増加を掲げた。  戦後には一転して人口抑制が課題となり、1948年成立の旧優生保護法では、優生手術の適用範囲を拡大すると同時に、不妊手術と中絶を条件付きで認めた。1996年に障害者差別に当たる部分が削除され、母体保護法に改称されたが、不妊手術や中絶の要件は現在までそのまま残っている。

◆時代錯誤 法改正時にも声は上がっていたのに

 ただ1996年の法改正前には、与野党の女性議員や市民団体からも旧優生保護法や刑法の堕胎罪が「女性の性と生殖への支配だ」との批判の声が上がっていた。  当時は自民党、社民党、新党さきがけの連立政権時代。議論の中心は中絶だったが、中絶も不妊手術も配偶者の同意を条件とする点を含め、女性の意思決定が尊重されていないと問題視。自民案で挙がった「母性保護法」という名称にも「女性を母という枠に閉じ込めている」と反対した。

国会議事堂

 また、性や生殖について自ら決める権利「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」が1994年に国連の国際人口開発会議で提唱されたことを受け、改正法にその理念を反映させるよう求めた。

◆「要件には何の合理性もない」

 だが、要件で見直されたのは優生手術に関わる部分のみだった。名称も、当初の「母性」が「母体」に変わっただけ。当時の社民の関係者は「国会運営の主導者は男性が中心で、自民党内では中絶を認めない勢力が強かった。議論の収拾がつかなくなることを避け、優生手術の規定の削除が優先された」と振り返る。その後、抜本的見直しの機運が高まることはなかった。  亀石弁護士は「女性の生殖は伝統的家族観や家父長的な価値観の下、人口政策の資源や装置とされ続けてきた」と指摘。不妊手術を認める条件が生命への危険や多産に限られてきたことから「女性が子を産むことを前提にした発想が残っている」とみる。生命に危険があっても配偶者同意がないと手術を受けられない点など、「要件には何の合理性もない」と話す。  明治学院大の柘植(つげ)あづみ教授(医療人類学)も、日本で旧国民優生法以降、生殖を制限される人と多産が奨励される人を分断して人口が管理されてきたことを踏まえ、「旧優生保護法の骨格を残したまま急ごしらえでできた母体保護法では、国のために子を産むことを女性に課す価値観を引きずっている」とみる。

◆「日本の考え方が特殊だ」 世界の現状は

 世界での不妊手術の事情はどうなのか。  中絶は胎児の生命尊重などを理由に是非が分かれる一方、不妊手術は法的に認められている国が多い。米国の非営利団体の調べでは、不妊手術を医学や健康上の理由がある場合などに制限するのは、日本のほか、ミャンマーやサウジアラビアなど8カ国とみられる。  先の柘植教授は「欧米諸国など世界では不妊手術が避妊手段の一つとして浸透しており、日本の考え方が特殊だ」と指摘する。  母体保護法に代わり、リプロダクティブ・ヘルス/ライツを考慮した避妊や中絶に関する法律が求められるとした上で、「妊娠や出産をするかしないかなどは、女性の人生、健康、生命に関わるため、十分な情報を得て選択できるようにすべきだ。また、どちらを選択しても差別されず、医療や福祉、心理面などの支援が得られる社会にしていくことが必要だ」と話す。

◆デスクメモ

 「産む機械」はじめ、女性と出産を結びつける政治家の発言は枚挙にいとまがない。麻生太郎氏も、菅義偉氏も。そんな空気が広まる中、心を痛める人たちがいる。彼らの当然は全員の当然ではない。私たちの社会にある違いにどう向き合うべきか。本文を読み、思いを巡らせてほしい。(榊) 

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