発生から8カ月となった、石川県などに大きな被害をもたらした能登半島地震。被災地の現状や地震の記憶を伝えようと、同県の第三セクター「のと鉄道」(穴水町)は、「語り部列車」の運行を9月中旬に始める。語り部を務める宮下左文(さふみ)さん(67)と坂本藍さん(44)は元日、乗務中に被災した。心の傷が癒えない中で「何かをしないと前には進めない」と語り部を担うことを決意した。(小林大晃、山谷柾裕)

震災学習列車ガイドの千代川らんさん(右端)から説明を受ける(左から)牛上智子さん、宮下左文さん、坂本藍さん、宮上哲夫総務部長=7月、岩手県内で

◆元日の観光列車で団体ツアー案内中に被災

 元日の午後4時すぎ。2人はのと鉄道が運行する観光列車「のと里山里海号」の乗務員として、能登中島駅(七尾市)に停車中の車両内にいた。団体ツアー客ら40人以上を乗せた列車は「地鳴りのような『ゴー』という音」(坂本さん)とともに激震に襲われた。  乗客の悲鳴があちこちから上がる。運転席の近くにいた宮下さんは「落ち着いてください」とマイクで叫び続けた。坂本さんも乗客に頭を守って安全を確保するよう促し続けた。一度落ち着いた揺れは数秒後、さらに強くなった。「8の字に揺さぶられた」と宮下さん。「(車両が)今に倒れるかもしれない」と恐怖が頭をよぎった。  揺れが収まり、降車した後も緊張は続いた。運転士から津波警報の発令を知らされたからだ。駅は海岸の近く。現地に詳しい運転士が「高台はあそこしかない」と指さした丘の上にある旧中島高校の校舎を目指し、急いで逃げた。2人は乗客を誘導しながら急坂を上る途中、七尾湾に押し寄せる津波を目撃した。

◆心の傷を抱えながら「何もしないほうが不安」

 400人以上がいたとみられる校舎で一夜を明かし、翌2日に社有車で穴水町の本社へ戻った。2月上旬、地震後初めて観光列車内に立ち入った坂本さんは、貧血のようなめまいに襲われた。宮下さんも親戚の住む県外に避難したが、当時を思い出して体調を崩した。「これがフラッシュバックか」。地震の記憶は、確実に重荷となった。  普通列車は4月に全線で運行を再開したが、2人が乗務する観光列車は再開のめどが立たない。心の傷を抱えながらも、宮下さんは「このままじゃダメだ」ともやもやが募った。「次の指示があるまでゆっくりしていい」と会社から言われたが、何もしないことのほうが不安だった。

◆岩手の三陸鉄道で学び「変わるために前に進む」

震災学習列車について、三陸鉄道の石川義晃社長(左端)から説明を受ける(左から)宮下左文さん、牛上智子さん、坂本藍さん=7月、岩手県釜石市で

 宮下さんは5月下旬ごろ、坂本さんのほか、同じく観光列車の乗務員を務める牛上智子さん(47)に思いを打ち明けた。2人も気持ちは同じだった。それと時を前後して、中田哲也社長から「語り部列車」の構想を知らされ、語り部を担うと決めた。  語り部列車の運行開始に向け、3人は7月下旬、岩手県の三陸鉄道を訪れた。東日本大震災の記憶と教訓を伝える企画列車「震災学習列車」に乗り、語り部の活動を間近で学んだ。穴水町の仮設住宅で暮らす牛上さんは「何かしないと前には進めない。変わるために前に進みたい」と決意を語り、坂本さんは「仕事が地震後にぱたっとなくなって不安だった。できることが自分にもあるなら」と話す。宮下さんは「必ず能登の景色をまた皆さんにご覧いただけるよう、歩み始める」と言葉に力を込める。    ◇   ◇      語り部列車は大手旅行会社「クラブツーリズム」(東京都)など旅行会社のツアーに組み込まれ、普通列車を貸し切って運行する。個人での予約はできない。ツアー商品の募集状況などの問い合わせは、のと鉄道旅行センター=電0768(52)0900=へ。 

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