◆誰でも利用可能な「資料閲覧室」に入ってみると
原子力規制委と規制庁が入る東京・六本木の民間ビル7階に「原子力関係資料閲覧室」はある。申し込めば誰でも利用可能で、「こちら特報部」は4日、部屋に入った。 右側には天井に届きそうなスライド式の書架が計10台あり、紙ベースの資料は「2000〜3000点ほど」(規制庁の担当者)。正面の机にデジタル化された資料を見られるパソコンが2台並び、手狭な印象だ。電力会社が国に提出した原発の設置許可申請書など過去の重要資料が見られる。書架10台とパソコン2台が置かれた現在の原子力関係資料閲覧室。コピー機は撤去されていた=東京都港区で
閲覧室は2013年5月、前身の旧原子力安全委員会が運営していた施設を引き継ぐ形で同ビル13階にオープンした。2014年に統合した原子力安全基盤機構(JNES)の資料も引き継ぎ、2015年ごろは計約2万5000点の資料を利用者が書架から直接取り出して閲覧し、必要ならコピーもできた。 2016年2月以降、ビル内で3回移転し、2021年3月ごろに現在の部屋に移った。開架していた紙の資料は「利用者の利便性を向上する」として電子データ化して、パソコンで見られるようにしたことで減り、部屋は当初より狭くなった。◆お粗末な電子データ化、資料の中身を検索できず
問題は、この電子データ化で、資料のタイトルしか検索できないことだ。資料内部の記載内容を検索できるようにする光学式文字文書読み取り装置(OCR)で読み取りをしなかったためで、紙ならめくって探せた情報も、パソコン上では探すのに大幅な手間がかかり、利便性は下がった。 取材で閲覧室を使っていた科学ジャーナリストの添田孝史氏は「国会図書館にはない資料があったが、誤った電子データ化は資料を探しにくくした。ITの名を借りた資料消滅作戦だ」と批判する。◆山中委員長「情報公開の劣化ではない」
規制委は昨年9月に資料のコピーサービスをやめ、今年4月には、閲覧室を来年3月に閉鎖すると、ホームページ(HP)に載せた。4日の記者会見で、規制委の山中伸介委員長に閉鎖の理由を問うと、「機材の制約、機器更新のコスト問題、1番の理由に利用者の大幅な減少がある。これらを踏まえ、閉鎖に至った」と説明した。規制庁によると、利用者は昨年度が5人、本年度は記者が訪ねるまでは13人だったという。閲覧室閉鎖の理由について答える原子力規制委の山中伸介委員長=東京都港区で
閉鎖後は規制委のHPの検索システムで資料のタイトルを検索できるようにするが、中身を見るには情報公開請求が必要になる。これまで開架やパソコンで閲覧できていた状況からは明らかに後退するが、山中氏は「情報公開の劣化につながるとは考えていない」と淡々と述べた。◆利用者が減ったのは「利用しにくくした結果」
しかし、先の添田氏は「情報公開の後退以外の何ものでもない」と断じる。利用者数の少なさを理由にしている点も「資料を利用しにくくした結果だ」とこれまでの対応を批判する。 「従来その場で入手できた資料が情報公開請求では手元に届くまで1カ月半はかかる。庁内にきちんと電子化した資料にアクセスできるパソコンを設け、外部からデータを見られるなどの方法を検討してほしい」◆電力事業者とのヒアリング、公開はごく一部
福島事故の反省から、2012年9月に発足した原子力規制委・規制庁。透明性の確保を重要な運営指針に掲げ、規制委の会合や原発の審査、記者会見などをネット中継し、資料や議事録も全面公開している。しかし、その開示姿勢にはいまだに不透明さがある。原子力関係資料閲覧室で電子データ化された資料を閲覧するために置かれたパソコン2台
例えば、規制庁と電力事業者のヒアリング。規制委発足前の2012年7月には、内閣官房は「委員や職員が事業者と面談した際は会議に当たる」「記録を残し、原則として内容を公開」と発表した。だが実際には、ごく一部のヒアリングは自動文字起こしによる議事録が公開されているものの、多くは説明資料とA4用紙数枚の議事要旨のみの公表にとどまっている。◆「公開を頑張ることが信頼回復の第一歩」なのに
規制庁に理由を聞くと、「設備が整えられた会議は自動文字起こしによる議事録を公開する。その他は、面談の総量が膨大で、記録するための業務量や予算などを考慮し、議事要旨を公開するようにしている」と回答があった。 とはいえ、これでは事業者との間でどんな打ち合わせがあったか、具体的なやり取りはほぼ分からない。 こうした姿勢について、福島原発事故の国会事故調査委員会で委員長を務めた黒川清・政策研究大学院大名誉教授はくぎを刺していた。2012年12月の有識者会議で、規制庁に議事録などの公開を「すごく大事だ」と説いた上で、「全部公開しているなと、頑張っているなということが信頼回復の第一歩だ」と訴えた。◆消極的な開示姿勢「グローバルスタンダードなのか」
改めて黒川氏に見解を聞くと、「海外諸国も国内に原発を抱えている。世界が日本の原発政策のありように注目していた」と当時の状況を回想。今も消極的な開示姿勢が続いていることに「失敗の記憶を共有し、情報を全公開する仕組みを構築しなければならなかった。非公開は日本という内向きな国だから許されるだけだと思っている。果たしてグローバルスタンダードなのか」と疑問を呈した。原子力規制委員会が入居する都内のビル=東京都港区で
長崎大の鈴木達治郎教授(原子力政策)は「電力事業者に対し、外部に公開しない前提で話を聞き出しているのであれば、商業契約の縛りもあるため、非公開自体が悪いわけではない」と前置きした上で、こう念を押す。「それでも将来の公開に備え、記録は残さないといけない。仮に削除や隠ぺいがあるのだとすれば、決して許されることではない」 別の事例も。発足から3年後には、前身の旧原子力安全・保安院などから引き継いだ資料をHPから削除。あろうことか福島事故の資料まで消した。批判を受け、国会図書館がコピーを保存するウェブサイトのリンクを示す仕様に変更したが、情報公開に後ろ向きな印象を残した。◆推進する側と規制する側の非公式面談、資料黒塗りに
一昨年には、原発の運転期間見直しを巡り、原発を推進する資源エネルギー庁と規制委の職員が少なくとも7回非公開で面談していたが、それを開示していなかったことが発覚。規制委は昨年2月に検討過程を記録した資料を公表したが、わずか3枚の資料の大半が黒塗りだった。原子力規制庁が2023年2月に公開した原発運転延長の検討過程を示した内部文書。大半が黒塗りだった
「発足直後の規制委は透明性を強調していた。時間が経過し、組織内が変わってきたのかもしれない」と鈴木氏はいぶかる。 原子力資料情報室の松久保肇事務局長は「開示に消極的な官庁という印象がぬぐえない。情報公開を請求しても、規制庁が所持しているはずの資料が『経済産業省にある』と出てこないケースがあった」と自身の経験に触れ、こう続けた。 「原子力は専門性が非常に高い分野かつ、庁内に原発事故前に経産省の外局に所属していた職員もいる。だからこそ、外部の目が届きやすい環境が必要だ」◆デスクメモ
約10年前、取材で規制委の審査を見続けた。会場で生中継で。長い時は1日10時間近く。今も当時の動画や議事録がネットで見られる。再生回数は多くないが、記録を残し、誰でも見られることが大事だ。閲覧室を巡る一連の対応は、規制委が自らの原点を見失っていく過程に見える。(岸) 鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。