江成常夫さん

 戦跡や遺品、中国残留孤児など「負の昭和」を長く撮り続ける写真家・江成常夫さん(87)=相模原市=の作品群がアメリカ・テキサス大付属の歴史博物館「ドルフ・ブリスコー米国史センター」(テキサス州オースティン)に収蔵されることが決まった。センターはフォトジャーナリズムの分野で、世界有数の公的アーカイブズ。主に米国の有力写真家の作品を集めており、日本人写真家の一連の業績が評価され、作品群が収蔵されるのは初めて。(加古陽治)

 江成常夫(えなり・つねお) 1936年生まれ、相模原市出身。毎日新聞の写真記者を経て独立。米国で暮らす戦争花嫁や中国残留孤児、旧満州国、原爆、太平洋の戦跡など日本の戦争の「負の遺産」をテーマに長く撮り続けている。代表作に「花嫁のアメリカ」(木村伊兵衛賞)、「シャオハイの満洲」(「百肖像」と合わせて土門拳賞)、「鬼哭の島」「生と死の時」など。九州産業大名誉教授。

 センターと江成さん側の覚書などによると、10月にも第1期として旧満州(中国東北部)に残る日本統治時代の建築などを撮影した「まぼろし国・満洲」と、太平洋の島々の戦跡を巡った「鬼哭(きこく)の島」の二つの写真集から約200点を収蔵する。第2期には別のいくつかの写真集から約200点をコレクション。2019年に先行して収蔵された「被爆 ヒロシマ・ナガサキ いのちの証(あかし)」の144点と合わせて、江成さんの写真家人生をたどることのできる構成になる。

「マダン(パプアニューギニア)」。アレキシス飛行場の片隅に日本陸軍百式重爆撃機「吞龍」の残骸が放置されていた(「鬼哭の島」より)

◆収蔵先はアメリカを代表するフォトジャーナリズム作品を収集

 センターは「米国南部」「公民権と社会正義」などと並んで1990年代から「フォトジャーナリズム」をテーマに写真を収集。ベトナム戦争中の68年にベトナム共和国(南ベトナム)の軍人が南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)の士官を路上で銃殺する瞬間を写した「サイゴンでの処刑」(ピュリツァー賞)で知られるエディ・アダムズ(1933~2004年)ら、これまでに70人余の米写真家の作品をコレクション。米国を代表するフォトジャーナリズムのアーカイブズとなった。広島と長崎で陸軍や新聞社のカメラマン、市民が撮影した被爆直後の被災地や被爆者の写真群も収蔵。江成さんが撮った遺品などの写真とともに、21年8月から22年1月にかけて展覧会「閃光(せんこう)・炎の壁」で展示された。

「満洲国合同法院 新京(現長春)」(1989年)。満州国法務の中枢機関。最高・高等・地方の裁判所と検察庁が置かれていた(「まぼろし国・満洲」より)

 江成さんの作品群の収蔵は、「負の昭和」を追い続けてきた江成さんの仕事を高く評価する在米の写真関係者が、作品の長期・永久保存を目指してセンターのドン・カールトン館長に提案して実現した。  江成さんは「アジア太平洋戦争の『負の昭和』を仕事の文脈と決め、鎮魂の気持ちを込めて『私的ドキュメント』の制作に努めてきた。戦後80年を前に、その普遍的な価値が米国で認められた」と話している。

◆戦勝国アメリカでの収蔵に意義

 美術史家の伊藤俊治・東京芸術大名誉教授の話 来年昭和100年、戦後80年を迎える前に、50年近くにわたって「負の昭和」を凝視してきた江成常夫さんのまなざしの系譜が、戦勝国である米国で体系的に収蔵される意義は、計り知れない。ピュリツァー賞受賞作と同じく、江成さんの作品にも記録性とともに優れた表現力があるからこそ、対象になったと思う。 

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